日本歴史地名大系 「宮崎庄」の解説
宮崎庄
みやざきのしよう
- 宮崎県:宮崎市
- 宮崎庄
現宮崎市域の大淀川北岸一帯に比定される豊前宇佐宮領の庄園。宇佐大鏡によれば、天平勝宝年中(七四九―七五七)に宇佐宮に寄進された封戸のうち
建久六年(一一九五)五月将軍源頼朝は、先に幕府が鎮西奉行として派遣していた天野遠景が宮崎庄の年貢を押領し舎弟の保高に宛行い、宇佐宮の遷宮などにあたって混乱が起こったため、守護として中原親能を補任している(「将軍家政所下文案」益永文書)。建久図田帳にも地頭は中原親能とある。仁治二年(一二四一)三月三〇日の関東下知状(田中教忠氏旧蔵文書)によれば、丹波国
宮崎庄
みやざきのしよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報