宮歌村(読み)みやのうたむら

日本歴史地名大系 「宮歌村」の解説

宮歌村
みやのうたむら

[現在地名]松前郡福島町字宮歌みやうた

近世から明治三九年(一九〇六)まで存続した村。近世は東在の一村で、宮歌みやうた川の流域に位置し、北方白符しらふ村、東は津軽海峡シャクシャインの戦に関連して「津軽一統志」に「宮のうた 小川有 澗あり 家二十軒」とみえる。元禄郷帳に「宮のうた村」、享保十二年所附には「宮の哥村 此辺おやち沢迄一里」と記される。天保郷帳では宮之哥村。宮歌村文書、宮歌村旧記(北海道大学北方資料室蔵)によると、寛永三年(一六二六)西津軽鰺ヶ沢あじがさわ(現青森県鰺ヶ沢町)から六人の漁民が来て澗内まないの沢に定着し、当地に家を建てた。二―三年後には戸数も二〇軒ほどになり、澗内川で引網を張って鮭をとったという。宮歌村旧記によれば同一二年松前八左衛門の知行所に定められ、用人の加川喜三郎が江戸から下り、上鍋島かみなべしまから下根祭しもねまつり岬までを松前藩主より拝領したという。その際大茂内おおもない(現乙部町)が枝村として、上ヨイチ場所が知行所として付与され、のち九艘川くそうがわ(現江差町)も枝村となったという。松前八左衛門は二代松前藩主松前公広の三男として寛永四年福山館に生れ、小字を竹松丸、または甚十郎と称し、長じて八左衛門泰広と名乗った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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