宮津城跡(読み)みやづじようあと

日本歴史地名大系 「宮津城跡」の解説

宮津城跡
みやづじようあと

[現在地名]宮津市字鶴賀

北は宮津海岸に面し、西は大手おおて(宮津川)外堀に利用して大手前を構える。城郭南西端から大手川の水を取り入れ、南部から東部を囲繞して宮津湾に注ぐ。城郭の規模は東西約五〇〇―六〇〇メートル、南北三〇〇―三五〇メートルである。

元和八年(一六二二)京極高知の死に伴い丹後は三分されて宮津は京極高広が引き継いだ。こののちに宮津城ならびに城下は築造されたといってよいが、城は京極氏入封以前の細川宮津城を継承したともいわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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