知恵蔵 「宮間あや」の解説
宮間あや
小学校5年生の時、国際交流イベント「国際社会で活躍できる日本人の育成」の親善大使としてアメリカのサンディエゴでの試合を経験、この時、後にチームメートとなる元日本女子代表の本田美登里と出会う。
読売メニーナ(現日テレ・メニーナ、99年NTVベレーザ・現日テレ・ベレーザへ昇格)に所属していたが、幕張総合高等学校(千葉県)2年生時退団。卒業を待って、2001年に本田美登里が率いる岡山湯郷Belle(岡山県)に第一期生として入団し、温泉旅館で清掃のアルバイトをしながらチームの主力選手として活躍。好きな言葉は「Make it happen」=「それを実現する」だというが、まさに彼女の戦い方そのものがその言葉通りと言えそうだ。
03年、日本代表に召集されて、FIFA女子ワールドカップ・アメリカ大会に出場。04年のU-19アジア女子選手権では主将を務めた。同年、L・リーグ(なでしこリーグ)で2部リーグ得点女王と最優秀選手に選出され、翌シーズンにはチームを1部昇格へと導いた。
09年、米国WPS傘下のロサンゼルス・ソルに移籍。チーム側の撤退等で、セントルイス・アスレティカ、アトランタ・ビートと移籍し、1年間で3チームに在籍した。この在米時代に、欧米の一流選手たちと交流、友情が生まれた。
11年、FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会出場。フリーキックを決めた初戦のニュージーランド戦と準決勝のスウェーデン戦でプレイヤー・オブ・ザ・マッチ獲得。決勝のアメリカ戦に勝利した直後、旧知のアメリカ選手たちに歩み寄って敬意を表し、ホープ・ソロ選手と語り合うさわやかな姿は、世界中から賞賛された。
12年現在、ロンドン・オリンピック、サッカー日本女子代表(なでしこジャパン)主将。準決勝でフランスを破り決勝進出を果たしたが、3連覇を狙うアメリカに1対2で敗れて銀メダル。日本サッカー女子がオリンピックでメダルを獲得するのは初。
(菘(すずな)あつこ フリーランス・ライター / 2012年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報