寄延村
よりのぶむら
[現在地名]森吉町寄延
北流する阿仁川中流左岸、支流の寄延沢の入口付近に位置する。享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」に「寄延村七軒」とあり、枝郷として「寄延沢村貞享元子に発る時民家五軒 今はわずか一軒 白坂村六軒」の記載がある。寛政六年(一七九四)の六郡惣高村附帳では当高二三石三斗で、すべて蔵分。
宝暦四年(一七五四)から品類村(現鷹巣町)の船木沢に入会、文政一三年(一八三〇)には浦田・桂瀬とともに調銭三〇〇貫文を七日市村(現鷹巣町)に郷備として支出、六〇年間の入会権を確保している(三ケ村雑木萱草入会証拠)。
寄延村
よりのぶむら
[現在地名]上月町寄延
上月村の南西、太平山・荒神山の後背地の谷間に立地。江戸時代の領主の変遷は上月村に同じ。正保郷帳に村名がみえ、田方四二石余・畠方二二石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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