富名腰村(読み)ふなくしむら

日本歴史地名大系 「富名腰村」の解説

富名腰村
ふなくしむら

[現在地名]玉城船越ふなこし愛地あいち

糸数いちかじ村の西に位置する。南東前川めーがー村と併称して、フナクシ・メーガーという。富名腰は舟越・船越などとも記し、八重山島に船越ふなくやー(現石垣市)がある。絵図郷村帳や琉球国高究帳には舟越村とみえ、同高究帳では高頭二五〇石余、うち田二〇八石余・畠四一石余。間切集成図では集落の西側を当山とーやま村の番所から大里うーざとう間切に通じる道が通り、集落南部に「井」と記される。地頭職は万暦年間(一五七三―一六一九)傅氏二世傅光寵舟越親雲上厚述が勤め(傅姓池原家家譜)、崇禎一〇年(一六三七)三月八日から翌一一年までは翁氏四世翁啓豊富名腰親雲上盛長が在任(翁姓永山家家譜)。康熙四年(一六六五)五月二八日に就任した向氏四世向克祥富名腰親方朝成(向姓喜屋武家家譜)は同二二年にその在任が確認され(「中山世譜」附巻)、同じく同二七年四月一一日就任の向氏五世向良翰富名腰親方朝興(向姓喜屋武家家譜)は同四三年に(「中山世譜」附巻)、同五一年三月一六日に就任の向氏六世向啓猷富名腰親方朝良(向姓喜屋武家家譜)は雍正五年(一七二七)の在任が(「中山世譜」附巻)、それぞれ確認される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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