富士松紫朝(初代)(読み)ふじまつ しちょう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「富士松紫朝(初代)」の解説

富士松紫朝(初代) ふじまつ-しちょう

1826-1902 江戸後期-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫
文政9年6月19日生まれ。新内節幼時に失明し地歌,箏曲(そうきょく)をまなぶ。弘化(こうか)3年江戸にでて初代富士松魯中(ろちゅう)に入門,寄席での弾き語りはしぶく上品な芸で名人といわれた。なお,2代紫朝をついだ古賀城武(じょうたけ)は富士松派では代数にかぞえない。明治35年3月1日死去。77歳。筑後(ちくご)(福岡県)出身本名は佐藤竹次郎。

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朝日日本歴史人物事典 「富士松紫朝(初代)」の解説

富士松紫朝(初代)

没年:明治35.3.1(1902)
生年:文政10(1827)
江戸後期から明治期の新内節の太夫。久留米生まれ。目が不自由で幼少から箏曲を学び,弘化3(1846)年初代富士松魯中の門に入り,新作運動に力を貸した。幕末には寄席に出て弾き語りをしたが,その上品な芸風で名人と呼ばれた。

(根岸正海)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報