古賀城武(読み)コガ ジョウタケ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「古賀城武」の解説

古賀 城武
コガ ジョウタケ


職業
地歌箏曲新内節太夫

別名
前名=富士松 紫好斎

生年月日
安政7年 1月25日

出生地
筑後国久留米(福岡県)

経歴
幼くして失明、8歳で山田城青に師事、慶応3年城武を名乗る。のち村石光瀬都および林検校らに九州系の地歌・箏曲を学んだが、明治12年から富士松紫朝に師事して新内節を学び、23年上京し富士松紫好斎を名乗る。26年師と共に久留米に帰り、2代目紫朝を継ぎ、昭和4年引退。11年富士松佐交に3代目を譲る。この間、大正3年から東京に定住し絃声会を結成、九州系京派の地歌・箏曲の普及につとめた。なお2代目紫朝を初代から譲られたことは東京の演芸界には知られず、今日の富士松派では柳家柴朝を2代目とし、古賀城武は代数に数えていない。

没年月日
昭和18年 2月5日 (1943年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「古賀城武」の解説

古賀 城武
コガ ジョウタケ

明治〜昭和期の地唄・箏曲家,新内節太夫



生年
安政7年1月25日(1860年)

没年
昭和18(1943)年2月5日

出生地
筑後国久留米(福岡県)

別名
前名=富士松 紫好斎

経歴
幼くして失明、8歳で山田城青に師事、慶応3年城武を名のる。のち村石光瀬都および林検校らに九州系の地唄・箏曲を学んだが、明治12年から富士松紫朝に師事して新内節を学び、23年上京し富士松紫好斎を名のる。26年師と共に久留米に帰り、2代目紫朝を継ぎ、昭和4年引退。11年富士松佐交に3代目を譲る。この間、大正3年から東京に定住し絃声会を結成、九州系京派の地唄・箏曲の普及につとめた。なお2代目紫朝を初代から譲られたことは東京の演芸界には知られず、今日の富士松派では柳家柴朝を2代目とし、古賀城武は代数に数えていない。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「古賀城武」の解説

古賀城武 こが-じょうたけ

1860-1943 明治-昭和時代前期の地歌・箏曲(そうきょく)家。
安政7年1月25日生まれ。福岡県の人。8歳で山田城清,のち村石光瀬之一らに師事。また初代富士松紫朝(しちょう)に新内節をまなび,2代紫朝をつぐ(富士松派では代数にかぞえていない)。大正3年に上京。東京で九州系の地歌,箏曲をひろめた。昭和18年2月5日死去。84歳。本名万吉

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