富山町(読み)とみやままち

日本歴史地名大系 「富山町」の解説

富山町
とみやままち

面積:四〇・三四平方キロ

安房郡の北西部に位置し、西は海(浦賀水道)に臨む。北は鋸南きよなん町・鴨川市、東は丸山まるやま町、南は富浦とみうら町・三芳みよし村。海岸部をJR内房線と国道一二七号が通る。町域の南東部、丸山町境に御殿ごてん(三六三・九メートル)、中央部北側に伊予いよヶ岳(三三六・六メートル)、西部にとみ(三四二メートル)がある。平久里へぐり川が東部を西流したのち中央部を南流して三芳村方面に向かい、北部を岩井いわい川が西流して大字久枝くしで海に注ぐ。古代は安房国平群へぐり郡に属し、同郡石井いわい郷・大里おおさと(和名抄)が遺称地を川上かわかみとする川上郷(同書)とともに町域に比定されている。川上は「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条にみえる東海道支路川上駅の所在地とされ、同駅を経て安房国府に向かう路程にある旧米沢よねざわ村の字大折おおおりが平群郡衙の所在地と想定されている。平安時代に成立した群房ぐんぼう庄は平群郡と安房郡の境に成立したと考えられ、町域も同庄に含まれていた可能性がある。


富山町
とやままち

[現在地名]金沢市城南じようなん二丁目

平野ひらの町の北東に並行し、南東藤棚ふじだなに、北西川上新かわかみしん町に続く通りがある。東は石川郡笠舞かさまい村に接する。もとは犀川河原。文政六年(一八二三)分立された地子町で、それまでも俗称として富山町とよばれていた(町奉行より出候町名)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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