大里郷(読み)おおさとごう

日本歴史地名大系 「大里郷」の解説

大里郷
おおさとごう

和名抄」にみえるが諸本ともに訓はない。安房国平群へぐり郡に同名郷があり、それには「於保佐止」の訓がある(東急本)。大里の地名は今日伝わらないが、郷名配列の順序から生駒山地西麓の郡北部に位置したと推定され、神宮寺じんぐうじ(現八尾市)やま・平野・大県おおがた(現柏原市)の地がその郷域と考えられる。この地区の中心は大県で、ここに大県郡の郡家があったため、大里の名が生じたとされる。


大里郷
おおさとごう

「和名抄」所載の郷で、東急本では於保佐止と訓を付す。郡郷里制下、安房国が上総国に併合されていた頃(七四一年一二月―七五七年五月)の正倉院宝物調庸布袍の墨書銘(正倉院宝物銘文集成)に上総国印とともに「平群郡大里郷戸主(丸カ)子部三国戸服織部(尼カ)万呂」とあり、当郷に丸子部・服織部の部姓を名乗る者がおり、調布を貢納していたことが知られる。また上総国分尼寺跡に隣接する市原市坊作ぼうさく遺跡から平群郡大里郷の郷名を記したと考えられている「大里」と記す墨書土器が出土している。坊作遺跡は上総国分尼寺を運営していたために意図的に配置された集落遺跡と考えられており、この墨書土器は、安房国が上総国に併合されていた頃の当郷が上総国分尼寺の造営に関与していたことを示す資料とされている。


大里郷
おおさとごう

「和名抄」高山寺本・刊本とも訓を欠く。天平一三年(七四一)の東大寺奴婢帳(「同年六月二六日山背国司移」正倉院文書)に「紀伊郡邑薩里」、同じく正倉院文書天平勝宝元年(七四九)の東大寺奴婢帳(天平勝宝元年一一月三日散位寮散位大初位上大宅朝臣可是麻呂解)には「紀伊郡邑薩里」と「紀伊郡大里郷」の二種がみえるが、関連する人名が茨田連族小墨と茨田連族智麻呂で同一氏族名であることからして邑薩と大里は同一の郷(里)名であろう。


大里郷
おおさとごう

「和名抄」所載の郷。諸本ともに訓を欠くが、通例に従う。現浦和市南部説(日本地理志料)、現蕨市と川口市西部説(大日本地名辞書)のほか大里の字名がある現伊奈いな町の大針おおばり一帯とする説がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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