富津御厨(読み)とづのみくりや

日本歴史地名大系 「富津御厨」の解説

富津御厨
とづのみくりや

富津は戸津と推定される。建久三年(一一九二)八月の神領注文(神宮雑書)に「富津とつ御厨(中略)供祭物 三度御祭御贄米陸石」、「神鳳鈔」に「内宮富津御厨十九丁、外宮三石」「東富津御厨十九丁」とあって、戸津とうづ村付近に神宮領御厨が二ヵ所あったと思われる。「兵範記」所収の保元二年(一一五七)三月二九日の太政官符に「一散位平正弘領、伊勢国肆箇所、大井田御厨・笠間御厨・石川御厨・富津御厨」とあり、この御厨が平正弘の所領であったことがわかる。正弘は伊勢平氏の祖維衡の曾孫で、保元の乱に崇徳上皇方に味方したため、北伊勢にあったこれらの所領は没収され、後白河天皇の後院領となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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