富益村
とみますむら
夜見村の北西にあり、北は和田村、北東は美保湾に面する。当村開発の由来について、文化元年(一八〇四)書写の富益村根元記(山陰歴史館蔵)によれば、砂地で耕作は困難であった当地を宝永二年(一七〇五)午一〇月小篠津村(現境港市)の角与兵衛が大庄屋深田甚左衛門へ所望、与兵衛の土地となった。同六年酉四月和田村境より南五九〇間の大崎村境より東灘までを、代銀五貫三〇〇目で一七人の百姓が買受け移住したとある。ただし開発の年次については干支と合わないことから疑問があり、「富益村史」では元禄三年(一六九〇)および同六年のこととしている。一七人は弓浜半島北部の高松村・境村・上道村・新屋村・小篠津村・佐斐神村・竹内村(現境港市)の七ヵ村の出身であった。宝永六年富益村と改め、同年下札では高一〇石余、享保四年(一七一九)の下札では一七石余、本免二ツとなっている(前掲根元記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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