日本歴史地名大系 「富野郷」の解説 富野郷とむのごう 京都府:山城国久世郡富野郷「和名抄」高山寺本は「止无乃」、刊本は「富野」と記し「止無乃」と訓ずる。冨野郷には石清水(いわしみず)八幡宮(現八幡市)の所領が古くからあったらしく、延久四年(一〇七二)九月五日付太政官牒(石清水文書)に、存続を認められた荘園の一所として「奈美富野両所」がみえる。同牒によれば両所合わせて一〇町九段余あったとするが、公験不備によりその領有が否定され、寄人二人の臨時雑役が免除されている。また「賀茂注進雑記」に載せる文治二年(一一八六)九月五日付源頼朝下文によれば冨野郷には賀茂別雷(かもわけいかずち)社(上賀茂神社、現京都市北区)の所領もあり、この下文に付す注記に「富野郷居住当社神人」という文言もみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報