寛空(かんぐう)(読み)かんぐう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「寛空(かんぐう)」の意味・わかりやすい解説

寛空(かんぐう)
かんぐう
(884―972)

平安中期の真言宗の僧。蓮台寺(れんだいじ)僧正、香隆寺(こうりゅうじ)僧正とも称する。俗姓は文屋(ふんや)氏。京都・左京または河内(かわち)(大阪府)の人。19歳のとき白雲神日(はくうんじんにち)(860―916)に就いて出家し、のち宇多(うだ)法皇より伝法灌頂(でんぽうかんじょう)を受ける。921年(延喜21)観賢(かんげん)が高野山(こうやさん)に弘法(こうぼう)大師(空海)の霊廟(れいびょう)を開扉するとき随侍した。雨乞(あまご)いの祈祷(きとう)に効験があり、また息災を祈る孔雀経法(くじゃくきょうぼう)を八度にわたって修した。949年(天暦3)東寺(とうじ)15代長者(ちょうじゃ)法務、翌950年には金剛峯寺(こんごうぶじ)座主(ざす)となる。960年(天徳4)山城(やましろ)(京都)に上品(じょうぼん)蓮台寺を開創、また香隆寺を再興した。弟子に寛朝(かんちょう)、元杲(げんごう)(914―995)などがいる。著作は『七支念誦次第(しちしねんじゅしだい)』など。

[吉田宏晢 2017年6月20日]

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