寺ヶ池
てらがいけ
[現在地名]河内長野市木戸町
慶安二年(一六四九)に上原村の中村与次兵衛勝直(祐和)が領主の近江膳所藩主に願出て、市村新田を開拓した。その水源として、小山田村領の「寺ケ池ト申少シ之池」の北堤を改築して長さ六〇間とし、池床二町六反余の池とした。そのうち、一町四反余は膳所藩領分、一町一反余は旗本三好領分小山田村領であったので、三好領は、三割増の一町四反余の膳所藩領分市村の「四つくの木」下の地と換地した(「寺ケ池書物之写」膳所藩資料館蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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