1862年(文久2)4月鹿児島藩尊攘派が京都伏見の寺田屋で鎮圧された事件。同年3月鹿児島藩主島津忠義の父久光は公武合体実現のため藩兵1000を率いて上洛。尊攘派も攘夷討幕の好機とみて京に集結した。久光は自重を求めたが,有馬新七を中心とする同藩尊攘派30余人は従わず,挙兵の機会をうかがい,船宿寺田屋に集結。久光は4月23日激派を鎮圧するため鎮使8名を寺田屋に派遣,有馬らの行動を止めようとしたがはたせず,同藩士どうしの斬り合いとなった。激派は数人が討死あるいは刑死し,同藩の尊攘運動は消滅した。この事件は尊攘派の憤激をかい,以降,尊攘運動は公武合体運動と激しく対立する。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新