海音寺潮五郎(読み)カイオンジチョウゴロウ

デジタル大辞泉 「海音寺潮五郎」の意味・読み・例文・類語

かいおんじ‐ちょうごろう〔‐テウゴラウ〕【海音寺潮五郎】

[1901~1977]小説家鹿児島の生まれ。本名末富東作すえとみとうさく。虚構を排した歴史小説作家の第一人者として史伝文学の復興に貢献した。「天正女合戦」「武道伝来記」で直木賞受賞。他に「西郷隆盛」「平将門」「天と地と」など。

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精選版 日本国語大辞典 「海音寺潮五郎」の意味・読み・例文・類語

かいおんじ‐ちょうごろう【海音寺潮五郎】

  1. 小説家。鹿児島県出身。本名末富東作。国学院大学卒。中学教師を経て、昭和一一年(一九三六)「天正女合戦」「武道伝来記」で直木賞受賞。男性的気概と詩情をたたえた歴史小説や史伝に新境地を開いた。「平将門」「武将列伝」「悪人列伝」「西郷隆盛」など。明治三四~昭和五二年(一九〇一‐七七

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20世紀日本人名事典 「海音寺潮五郎」の解説

海音寺 潮五郎
カイオンジ チョウゴロウ

昭和期の小説家



生年
明治34(1901)年3月13日

没年
昭和52(1977)年12月1日

出生地
鹿児島県伊佐郡大口村(現・大口市)

本名
末富 東作(スエトミ トウサク)

学歴〔年〕
国学院大学高等師範部国漢科〔大正15年〕卒

主な受賞名〔年〕
サンデー毎日大衆文芸入選(第5回)〔昭和4年〕「うたかた草紙」,サンデー毎日懸賞小説〔昭和7年〕「風雲」,直木賞(第3回)〔昭和11年〕「天正女合戦」,菊池寛賞(第16回)〔昭和43年〕,紫綬褒章〔昭和47年〕,文化功労者〔昭和48年〕,日本芸術院賞(第33回・文芸部門)〔昭和51年〕,大口市名誉市民〔昭和52年〕

経歴
国学院大学卒業後、中学校の教師になる。昭和7年「風雲」が「サンデー毎日」の小説募集に当選し、9年退職、作家に専念する。11年「天正女合戦」で直木賞を受賞。以後、歴史小説、史伝物を中心に幅広く活躍し、43年菊池寛賞を受賞。また47年には紫綬褒章を受け、48年文化功労者。平安時代の「平将門」、鎌倉時代の「蒙古来る」、戦国時代の「天と地と」、幕末の「西郷と大久保」など、時代をとわず、壮大なスケール長編小説を次々と発表した。一方、史伝作家の第一人者でもあり、「武将列伝」「悪人列伝」「赤穂浪士伝」などがある。他の代表作に「茶道太平記」「二本の銀杏」など。「海音寺潮五郎全集」(全21巻 朝日新聞社)がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「海音寺潮五郎」の意味・わかりやすい解説

海音寺潮五郎 (かいおんじちょうごろう)
生没年:1901-77(明治34-昭和52)

歴史小説家。鹿児島生れ。本名末富東作。1926年(昭和1)国学院大学高等師範部を卒業,旧制中学の国語教師を務めながら《サンデー毎日》の懸賞小説に応募し当選,34年鎌倉に居を構えて作家生活に入る。36年,豊臣秀吉とその女性たちを描いた《天正女合戦》などで直木賞を受賞する。以後,《明治太平記》(1952),《蒙古来る》(1954),《平将門》(1955),《武将列伝》(1959-63),上杉謙信を描いた《天と地と》(1962),《西郷隆盛》(1969)などの長編歴史小説に,その特色をあますところなくみせている。とくに乱世の英雄を描いて右に出るものはなく,その男性像は意地と節操を貫く悲壮美と力感にあふれている。また史実に対する調査や解釈も行き届いており,歴史への深い造詣に裏打ちされていることがわかる。実生活もまた文壇を離れて孤高の生活を送り,薩摩隼人らしい気骨に満ちた生涯であった。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「海音寺潮五郎」の意味・わかりやすい解説

海音寺潮五郎
かいおんじちょうごろう
(1901―1977)

小説家。鹿児島県生まれ。本名末富東作。国学院大学卒業後、鹿児島県立指宿(いぶすき)中学校や京都府立第二中学校の教師を務めた。『うたかた草紙』(1929)、『風雲』(1932)が『サンデー毎日』の懸賞小説に入選したのち、1934年(昭和9)に教職を退き文筆に専念。36年『天正女(てんしょうおんな)合戦』『武道伝来記』で直木賞を受賞。『平将門(まさかど)』(1954~57)、『天と地と』(1960~62)、連作小説『二本(ふたもと)の銀杏(ぎんなん)』(1959~61)・『火の山』(1961~62)・『風に鳴る樹(き)』(1963~64)、史伝『武将列伝』(1959~60)、『悪人列伝』(1961~62)、『西郷隆盛(たかもり)』(1976~78)などが代表作。73年(昭和48)文化功労者に送ばれ、77年、芸術院賞が贈られた。男性的気概と詩情をたたえた歴史小説や、虚構を排し、高次元での文学としてまとまった史伝には、歴史文学としての傑作が多い。

[磯貝勝太郎]

『『海音寺潮五郎全集』全21巻(1969~71・朝日新聞社)』『尾崎秀樹著『海音寺潮五郎・人と文学』(1978・朝日新聞社)』

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百科事典マイペディア 「海音寺潮五郎」の意味・わかりやすい解説

海音寺潮五郎【かいおんじちょうごろう】

小説家。鹿児島生れ。本名末富東作。国学院大学高等師範部卒業。中学教師をつとめるかたわら創作に専心し,1929年《うたかた草子》が下期の《サンデー毎日》大衆文芸賞に入選,1932年には《風雲》が《サンデー毎日》の長編大衆文芸の懸賞小説に当選。教職を辞して,1936年《天正女合戦》で直木賞を受賞。歴史を題材とする小説に新境地をひらいた。1968年,〈歴史伝記文学作家としての努力と功績〉で菊池寛賞受賞。作品には《茶道太閤記》《二本の銀杏(ふたもとのぎんなん)》《孫子》《西郷隆盛》などがある。《平将門》《海と風と虹と》《天と地と》はNHKの大河ドラマの原作。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「海音寺潮五郎」の意味・わかりやすい解説

海音寺潮五郎
かいおんじちょうごろう

[生]1901.3.13. 鹿児島
[没]1977.12.1. 黒磯
小説家。本名,末富東作。 1926年國學院大學高等師範部国漢科卒業。中学教師を務めるかたわら,1931年『サンデー毎日』の懸賞小説に応募,『風雲』が当選,1934年に退職して作家生活に入った。 1936年『武道伝来記』などで直木賞を受賞,大衆文学の代表作家と目された。『平将門』 (1954~55) ,上杉謙信の生涯を描いた『天と地と』 (1960~62) ,純友の乱を主題とする『海と風と虹と』 (1965~66) などのスケールの大きな歴史小説を次々に執筆,ライフワークとしていた『史伝西郷隆盛』を続稿中没した。 1973年文化功労者。 1977年日本芸術院賞受賞。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「海音寺潮五郎」の解説

海音寺潮五郎 かいおんじ-ちょうごろう

1901-1977 昭和時代の小説家。
明治34年11月5日生まれ。昭和4年「うたかた草紙」が「サンデー毎日」大衆文芸賞に入選。11年「天正女合戦」「武道伝来記」で直木賞。「平将門」「天と地と」など歴史小説の分野で活躍した。48年文化功労者。52年芸術院賞。昭和52年12月1日死去。76歳。鹿児島県出身。国学院大卒。本名は末富東作。

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事典・日本の観光資源 「海音寺潮五郎」の解説

海音寺潮五郎

(鹿児島県姶良郡加治木町)
かごしま よかとこ100選 浪漫の旅」指定の観光名所。

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367日誕生日大事典 「海音寺潮五郎」の解説

海音寺 潮五郎 (かいおんじ ちょうごろう)

生年月日:1901年11月5日
昭和時代の小説家
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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