日本大百科全書(ニッポニカ) 「寺町廃寺」の意味・わかりやすい解説
寺町廃寺
てらまちはいじ
広島県三次(みよし)市向江田(むこうえた)町寺町の山間にある奈良時代前期から平安時代初期にわたる寺院跡。1979年(昭和54)から81年にかけて三次市教育委員会により発掘調査が行われ、塔跡、金堂(こんどう)跡、講堂跡、回廊跡が検出され、法起寺(ほっきじ)式の伽藍(がらん)配置であることが判明した。南門など外郭の遺構は検出されていないが、台地の地形からみてほぼ一町四方の寺域が推定される。主要堂塔の基壇は基底部に塼(せん)を小端建(こばだて)し、上部は瓦(かわら)積みであったと推定される。出土遺物には、晩唐三彩、緑釉(りょくゆう)などがあり、軒丸瓦(のきまるがわら)は八型式あるが、文様のある軒平瓦はみられない。軒丸瓦はいずれも下端部がとがり、いわゆる「水切(みずきり)瓦」と称される特異なもので、本寺を中心に備後(びんご)北部、備中(びっちゅう)、安芸(あき)、出雲(いずも)の一部に分布している。『日本霊異記(りょういき)』所載の三谷(みたに)寺と推定される。84年国史跡に指定された。
[松下正司]