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寺西封元 てらにし たかもと

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

寺西封元 てらにし-たかもと

1749-1827 江戸時代中期-後期の武士。
寛延2年生まれ。幕府の徒士(かち)組頭から陸奥(むつ)白川郡(福島県)塙(はなわ)の代官となる。「寺西八ケ条」や「子孫繁昌手引草」をつくって堕胎や間引きの防止などをはかり,公金貸付の資金で農村復興につくした。のち伊達郡(だてぐん)(福島県)桑折(こおり)代官をつとめた。文政10年2月18日死去。79歳。安芸(あき)(広島県)出身。通称は重次郎。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

寺西封元

没年:文政10.2.18(1827.3.15)
生年:寛延2(1749)
江戸後期の代官。通称は重次郎。浅野家旧臣寺西弘篤の子。幼少のころ寺に入ったが,15歳のとき還俗,安永1(1772)年西丸の徒士となり,寛政4(1792)年徒士組頭から幕府代官となり陸奥国白川郡塙(福島県塙町)代官6万石支配に任ぜられ,小名浜領(福島県いわき市)3万石も管轄した。領内に「寺西八カ条」「子孫繁昌手引草」を配布,子間引き・堕胎の防止,小児養育に努め,公金貸付の資金で農村復旧をはかり,農村人口の増加や心学講和会による農村教化に尽力した。この民政策は注目され,文化8(1811)年,同12年に「民風改正要綱」の実行のため水戸藩ほか,隣接諸藩が参集し会議を行った。11年陸奥国伊達郡桑折陣屋(福島県桑折町)3万石支配に移り,塙,小名浜領8万石と半田銀山も併せて管轄しさらに川俣領2万石も支配した。文政1(1818)年勘定組頭兼務で,一時,江戸在勤したが,2年再び桑折代官となる。代官在任36年,桑折陣屋で没した。墓は福島県伊達郡桑折町の無能寺。遺徳を偲び旧領内9カ所に寺西神社をはじめ生祠,頌徳碑がある。<参考文献>誉田宏『寺西封元』(『福島人物の歴史』5巻),金沢春友『寺西代官治績集』

(村上直)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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