寺領村(読み)じりようむら

日本歴史地名大系 「寺領村」の解説

寺領村
じりようむら

[現在地名]木次町寺領

斐伊川の支流久野くの川の右岸に位置し、対岸東日登ひがしひのぼり村、東は宇谷うだに村。中世には来次きすき庄に含まれていたとみられる。村名は安養あんよう寺領に由縁するとも、室山むろやま四二坊の寺領によったとも伝えられる。「雲陽大数録」には高九四〇石とあり、「郡村誌」によると田一一五町余・畑四三町余・宅地七町余、戸数一九〇(うち社三・寺三)・人口八九六。


寺領村
じりようむら

[現在地名]安城市寺領町

矢作川右岸の沖積地にある。北は小川おがわ村に隣する。岩津信光明しんこうみよう(現岡崎市)領地であったところからこの名が生れた。すなわち慶長九年(一六〇四)この村の主部分が信光明寺に与えられている。志貴しき庄に属する。寺領村の民家に保管されている有舌尖頭器によって、およそ一万年前、この近くに人々のいたことがわかる。

近世の支配は一村一領主の小村で、岩津信光明寺領から元禄一〇年(一六九七)沼間伊織領、元禄一二年幕府領、享保一〇年(一七二五)岡崎藩領、宝暦一二年(一七六二)幕府領、明和六年(一七六九)再び岡崎藩領となり明治に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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