デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尊助法親王」の解説 尊助法親王 そんじょほうしんのう 1217-1291* 鎌倉時代,土御門(つちみかど)天皇の皇子。建保(けんぽ)5年生まれ。貞永(じょうえい)元年出家し,妙法院のち青蓮院(しょうれんいん)にはいる。建長4年親王。のち天台座主(ざす),無動寺三昧院(ざんまいいん)検校(けんぎょう)となった。正応(しょうおう)3年12月1日死去。74歳。通称は青蓮院宮,大原宮。著作に「大講堂供養諷誦文(ふじゅもん)」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「尊助法親王」の解説 尊助法親王 没年:正応3.12.1(1291.1.2) 生年:建保5(1217) 鎌倉中後期の天台宗僧。土御門上皇の子。母は法印尋恵の娘。正元1(1259)年に天台座主となり,4度にわたって座主を勤める。青蓮院門跡。後深草,亀山,後宇多天皇の3代の護持僧で,後嵯峨上皇の出家の戒師も勤めた。 (土谷恵) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by