ラテン帝国(読み)らてんていこく(英語表記)Empire Latin de Constantinople フランス語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラテン帝国」の意味・わかりやすい解説

ラテン帝国
らてんていこく
Empire Latin de Constantinople フランス語

フランス人とベネチア人を主力とする第4回十字軍が1204年ビザンティン帝国内紛干渉し、コンスタンティノープルを占領して創設した西欧型封建制国家。テッサロニキ、ギリシア本土(アテネ公領、アカイア公領)、エーゲ海島嶼(とうしょ)、小アジア西部を領土とした。フランス人とベネチア人は征服前の分割協定により、初代の「皇帝にしてローマ人の支配者」にボードアン1世Baudouin Ⅰ(在位1204~05。フランドル伯としては9世)を推挙し、その取り分を除く全征服地の4分の3を折半して、おのおの陪臣に封土として分与したが、政情はつねに不安定で国境を接するブルガリアエピルスから干渉、反撃が絶えなかった。また、ギリシア正教徒の現地住民は、ローマ・カトリック教会に反感を抱き、社会的荒廃を招いた。1261年、ニカイア皇帝ミハイル8世Michael Ⅷ(在位1259~82)の軍隊民衆蜂起(ほうき)により首都を奪回され、ビザンティン帝国が復興した。最後のラテン皇帝ボードアン2世(在位1228~61)はイタリアに亡命した。

[橋口倫介]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラテン帝国」の意味・わかりやすい解説

ラテン帝国
ラテンていこく
Latin Empire

1204年,第4次十字軍ビザンチン帝国の首都コンスタンチノープルを占領したあと,この地に建てられた王国。フランドル出身のボードアン1世に始まり,ボードアン2世にいたるまで 6人の西ヨーロッパ王侯を数えたが,1261年8月15日ニカイア帝国亡命政権 (ビザンチン) のミカエル8世の奪回により終息

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