朝日日本歴史人物事典 「尊秀王」の解説
尊秀王
後南朝の王子といわれる。系統,事跡など不明。伏見宮貞成親王の日記『看聞日記』嘉吉3(1443)年9月23日,24日条に,南朝の遺臣日野有光が南朝の皇族を奉じて,清涼殿に乱入,神璽を奪い取ったこと(禁闕の変)がみえ,「南方謀反大将」が「源尊秀」と号したと書かれている。同事件を記した中原康富の日記『康富記』には,南朝の皇族は,後亀山天皇の御子の兄弟で,名を金蔵主,通蔵主といい,この叛徒の中に後鳥羽上皇の後胤で,鳥羽尊秀と称するものがいたと記されている。その後,文安から享徳年間(1444~55)にも,兄を北山宮,弟を河野宮忠義王と称する別の南朝皇族の兄弟が,南朝再興を企てたが,この北山宮を尊秀王と称したとする伝もある。<参考文献>『村田正志著作集』1巻
(相馬万里子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報