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尊秀王 そんしゅうおう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

尊秀王 そんしゅうおう

?-? 室町時代の皇族。
後南朝の王子といわれる。嘉吉(かきつ)3年(1443)京都御所に乱入した(禁闕(きんけつ)の変)首謀者のひとり。事件をしるした「看聞御記」「康富記」には源尊秀,後鳥羽(ごとば)上皇の後胤(こういん)鳥羽尊秀の名がしるされている。長禄(ちょうろく)元年(1457)大和(奈良県)吉野郡で南朝再興をくわだてて殺された北山宮とする説もある。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

尊秀王

生年:生没年不詳
後南朝の王子といわれる。系統,事跡など不明。伏見宮貞成親王の日記『看聞日記』嘉吉3(1443)年9月23日,24日条に,南朝の遺臣日野有光が南朝の皇族を奉じて,清涼殿に乱入,神璽を奪い取ったこと(禁闕の変)がみえ,「南方謀反大将」が「源尊秀」と号したと書かれている。同事件を記した中原康富の日記『康富記』には,南朝の皇族は,後亀山天皇の御子の兄弟で,名を金蔵主,通蔵主といい,この叛徒の中に後鳥羽上皇の後胤で,鳥羽尊秀と称するものがいたと記されている。その後,文安から享徳年間(1444~55)にも,兄を北山宮,弟を河野宮忠義王と称する別の南朝皇族の兄弟が,南朝再興を企てたが,この北山宮を尊秀王と称したとする伝もある。<参考文献>『村田正志著作集』1巻

(相馬万里子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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