小作田村
こさくだむら
下小山田村の南西、阿武隈川東岸の氾濫原と東から突き出た丘陵部に立地。天正二年(一五七四)正月晦日の田村清顕書状(伊達家文書)に「小作田」とみえ、田村清顕は須賀川の二階堂盛義攻撃のため、同月二七日岩瀬郡河東郷へ兵を進め、当地にあった城の外曲輪を攻撃し、二階堂勢を退けている。同八年三月、清顕が再び二階堂氏を攻めた際、盛義は田村勢を欺くため当地などに兵を隠したという(藤葉栄衰記)。
小作田村
こさくだむら
[現在地名]八潮市小作田・新町
古綾瀬川の氾濫原の沖積地に位置し、北は松之木村。田園簿では田方一三四石余・畑方六六石余、幕府領。領主の変遷は鶴ヶ曾根村と同じ。天保六年(一八三五)の八条領村鑑(小沢家文書)によると、貞享元年(一六八四)の検地で高三二〇石余、反別は田方二〇町八反余・畑方一九町三反余、用・排水は八条用水組合・古利根川中川筋藻刈組合・綾瀬川筋藻刈組合に所属。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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