小吹村(読み)こぶきむら

日本歴史地名大系 「小吹村」の解説

小吹村
こぶきむら

[現在地名]千早赤阪村小吹

吉年よどし村の南にあり丘陵地に位置する。応永一八年(一四一一)六月日付畠山満家証判添状観心寺重書案(観心寺文書)に収める寛治元年(一〇八七)五月二二日の河内国庁宣案に「観心寺領山内東坂小吹」とみえ当地観心かんしん(現河内長野市)領があったことが知られる。康暦元年(一三七九)一一月一五日の愛徳女等山林売券(葛原家文書)に「コフキノムラ」「在河内国石河郡東条北吹・持内字タウノ峰、東ウラ」とみえ、「北吹」は「小吹」をさすと考えられる。長享三年(一四八九)四月二〇日の観心寺結縁灌頂米銭上下用帳(観心寺文書)に「米上用」として「弐石二升七合寺中ノ上下 小吹庄共奉加」とある。


小吹村
こぶきむら

[現在地名]水戸市小吹町

水戸城下より南へ一里余り隔てた千波せんば緑岡みどりおか台地上の平坦地に開けた村。東は笠原かさはら新田。

近世初期には水戸城下と水戸街道を結ぶ道が通り、水戸道みとみち水戸道向みとみちむかいなどの小字名が残る。「水府地理温故録」の裏新町新蔵前うらしんまちしんぞうまえの項に「長岡村の年寄木村某が物語に、今の水戸下町への街道は、慶長二年に開けしと聞伝へし由。是を以て本説とする時は、佐竹侯水戸に城主たるの初め迄は、青柳より海老窪へ渡り、今の柵町筋へ出て、御宮下の辺より段々見川、小吹、大戸を経て、小幡の方への通路を改められ、慶長二年に長岡より上野村大和田今坂戸に属す古宿村坂戸より田中町筋へ渡り」とあり、同書の田中たなか町の項には「長岡村の住木村源兵衛物語に、慶長弐年に、水戸への街道開けたりと。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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