小坂善太郎(読み)コサカ ゼンタロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「小坂善太郎」の解説

小坂 善太郎
コサカ ゼンタロウ


肩書
元・衆院議員(自民党),元・外相,日本国際連合協会会長,信越化学工業相談役

生年月日
明治45年1月23日

出生地
長野県長野市西町

学歴
東京商科大学(現・一橋大学)〔昭和10年〕卒

経歴
信州の名門小坂財閥に生まれ、祖父・善之助は「信濃毎日新聞」創業者で衆院議員、父・順造も衆院議員・貴院議員を務めた政治家一族の出身。大学卒業後、三菱銀行勤務、信越化学工業取締役を経て、昭和21年以来長野1区から衆院議員当選16回。衆院予算委員長、労相などを経て35年第1次池田内閣の外相となり対米協調を基軸に経済大国をめざす池田外交の推進役を果たした。その後47年経済企画庁長官、自民党政調会長、党外交調査会長などを歴任。58年落選したが、61年復帰し、中曽根派(現・渡辺派)に入る。議員外交ライフワークに47年の日中国交正常化に際しては日中国交正常化協議会会長として田中角栄首相(当時)の訪中の地ならしをするなどハト派外交を推進した。平成2年二男・憲次に地盤を譲って引退。昭和45年より日本国際連合協会会長を務めた。平成7年国連50周年記念国内委員会委員長となる。

受賞
勲一等旭日大綬章〔昭和57年〕 国連平和章〔昭和57年〕

趣味
ゴルフ 空手

没年月日
平成12年11月26日

家族
祖父=小坂 善之助(衆院議員) 父=小坂 順造(電源開発総裁・衆院議員) 弟=小坂 徳三郎(運輸相) 二男=小坂 憲次(衆院議員)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「小坂善太郎」の解説

小坂 善太郎
コサカ ゼンタロウ

昭和・平成期の政治家 日本国際連合協会会長;元・衆院議員(自民党);元・外相;信越化学工業相談役。



生年
明治45(1912)年1月23日

没年
平成12(2000)年11月26日

出生地
長野県長野市西町

学歴〔年〕
東京商科大学(現・一橋大学)〔昭和10年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲一等旭日大綬章〔昭和57年〕,国連平和章〔昭和57年〕

経歴
信州の名門・小坂財閥に生まれ、祖父・善之助は「信濃毎日新聞」創業者で衆院議員、父・順造も衆院議員・貴院議員を務めた政治家一族の出身。大学卒業後、三菱銀行勤務、信越化学工業取締役を経て、昭和21年以来長野1区から衆院議員当選16回。衆院予算委員長、労相などを務めたのち、35年第1次池田内閣の外相となり、対米協調を基軸に経済大国をめざす池田外交の推進役を果たした。その後、47年経済企画庁長官、自民党政調会長、党外交調査会長などを歴任。58年落選したが、61年復帰し、中曽根派に入る。議員外交をライフワークに47年の日中国交正常化に際しては日中国交正常化協議会会長として田中角栄首相(当時)の訪中の地ならしをするなどハト派外交を推進した。平成2年二男・憲次に地盤を譲って引退。昭和45年より日本国際連合協会会長を務めた。平成7年国連50周年記念国内委員会委員長。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小坂善太郎」の解説

小坂善太郎 こさか-ぜんたろう

1912-2000 昭和後期-平成時代の政治家。
明治45年1月23日生まれ。小坂順造長男小坂徳三郎の兄。昭和21年衆議院議員(当選16回,自民党)。第5次吉田内閣の労相,第1・第2次池田内閣の外相,党政調会長,経済企画庁長官などを歴任。日中国交正常化,日ソ友好などにつとめた。平成2年引退。平成12年11月26日死去。88歳。長野県出身。東京商大(現一橋大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「小坂善太郎」の解説

小坂 善太郎 (こさか ぜんたろう)

生年月日:1912年1月23日
昭和時代;平成時代の政治家。日本国際連合協会会長;衆議院議員
2000年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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