朝日日本歴史人物事典 「小寺清先」の解説
小寺清先
生年:寛延1(1748)
江戸後期の国学者,神道家。通称は常陸介。号は雲斎,楢園。備中国笠岡(笠岡市)の稲荷社の祠官の家に生まれ,家職を継ぐ。若年上京して,唯一神道の宗家吉田家に入門。当時吉田家の賓師だった松岡仲良が,清先を推して自分の後任にしようとしたが,高齢の父を養わなければならないことを理由に固辞して帰郷。寛政11(1799)年,病のため祠職を長子清之に譲り,のち郷校敬業館に請われて講師となった。松岡仲良から『持授抄』の伝授を受けた。谷川士清の『日本書紀通証』を高く評価したが,いまだその奥義を尽くしていないといって『本教闡明』を著した。歌は在京時代に澄月に学び,詠歌数千首におよんだ。家集を『楢園集』という。<著作>『三器説』『国号論』など。
(白石良夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報