小山内玄洋(読み)おさない げんよう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小山内玄洋」の解説

小山内玄洋 おさない-げんよう

1848-1885 明治時代の医師。
嘉永(かえい)元年生まれ。小山内薫の父。杉田成卿(せいけい)にまなび,明治3年大学東校(東大の前身)の教授となる。西南戦争には旅団軍医長として従軍。のち東京陸軍病院長,広島鎮台病院長をつとめた。眼科医の草分けで「眼科約説」をあらわした。明治18年2月28日死去。38歳。青森県出身。別名に建(たてし)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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