小山宿(読み)おやましゆく

日本歴史地名大系 「小山宿」の解説

小山宿
おやましゆく

[現在地名]小山市中央町ちゆうおうちよう一―三丁目・城山町しろやまちよう一―二丁目・花垣町はながきちよう二丁目・宮本町みやもとちよう一―三丁目・天神町てんじんちよう一―二丁目・駅東通えきひがしどおり一―二丁目・駅南町えきみなみちよう一―六丁目・城東じようとう一―二丁目・三峯みつみね一―二丁目・神山かみやま一―二丁目・小山

おもい川沿いにあり、北は稲葉いなば郷、南は神鳥谷しととのや村。日光街道が南北に通る。小山宿は正式な呼称ではなく、慶安郷帳には大谷之おおやの郷、元禄郷帳では小山町、天保郷帳では大谷郷と記される。中世現市域に勢力を張っていた小山氏は、当初わし城に本拠を置いていたが享徳四年(一四五五)頃当地に移ったとされる。天正三年(一五七五)小田原北条氏により祇園ぎおん(小山城)は落城し、小山秀綱常陸に逃れる。その後秀綱は北条氏のもとで当地に復するが、同一八年の豊臣秀吉による相模小田原城攻防戦に際し北条氏にくみし、結城氏により攻め落され、当市域は結城氏の支配に入った。慶長一三年(一六〇八)頃までに徳川家康の重臣本多正純が当地に入封し、城下町を形成した。元和五年(一六一九)正純が宇都宮に転封し、小山城は廃城となり日光街道の宿場町としての性格を強めていった。しかも当地は下総結城へ抜ける結城道、また思川を渡り佐野・足利方面へ向かう佐野道、栃木へ向かう栃木道などの結接点にあり、「五街道追分の地」といわれるように交通の要衝として重要な位置にあった。領主変遷は小山藩領から元和五年下総古河藩領、延宝三年(一六七五)幕府領、天和二年(一六八二)再び古河藩領、貞享二年(一六八五)幕府領、安永三年(一七七四)宇都宮藩領となる。慶安郷帳によれば田方三一〇石余・畑方六三三石余、ほかに持宝じほう寺領一〇石・祇園別当領一五石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の小山宿の言及

【小山[市]】より

…東京から約70kmで通勤圏内にあり,東北新幹線の大宮の次の停車駅として東京への時間距離はさらに短縮された。【村上 雅康】
[小山宿]
 下野国の日光道中の宿駅。《和名抄》に都賀郡小山郷と見える。…

※「小山宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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