小山朝郷(読み)おやま ともさと

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小山朝郷」の解説

小山朝郷 おやま-ともさと

?-1346 南北朝時代の武将
小山秀朝(ひでとも)の子。建武(けんむ)2年父の戦死により家督をつぎ,下野(しもつけ)(栃木県)の守護となる。建武4=延元2年南朝方の北畠顕家(あきいえ)軍に小山城を攻められ一時捕らえられる。興良親王をたて,南朝に対して分派行動をくわだてたりした。貞和(じょうわ)2=興国7年4月13日死去。幼名は常犬丸。初名は朝氏。通称は小四郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の小山朝郷の言及

【下野国】より

…さらに41年(興国2∥暦応4)の藤氏一揆は親房を悩ませた。それは,前関白近衛経忠が藤原氏子孫の小山氏や常陸の小田氏,結城氏に働きかけ,いわゆる藤原同盟を結成し,経忠自身が天下の政権をとり,小山朝郷(朝氏)が〈坂東管領〉になるという構想であり,明らかに南朝でも北朝でもない第三王朝の建設を目ざしたものである。この構想は46年(正平1∥貞和2)小山朝郷の死で実現に至らなかったが,動乱の最中における注目すべき動向であった。…

※「小山朝郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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