小山朝郷(読み)おやま・ともさと

朝日日本歴史人物事典 「小山朝郷」の解説

小山朝郷

没年貞和2/正平1.4.13(1346.5.4)
生年:生年不詳
南北朝時代の武将,下野守護。幼名常犬丸,通称小四郎,初名朝氏。幼くして父秀朝が戦死し,建武4/延元2(1337)年12月に南下した北畠顕家軍に捕らえられたが,同族結城宗広の嘆願で許された。基本的には足利方の守護として活動したが,去就については曖昧な態度に終始し,北畠親房からしきりに南朝方へ誘引されたり,近衛経忠より南朝の分派行動である藤氏一揆計画を持ちかけられたりしている。このような背景には動向の定まらない東国情勢,弟氏政との「兄弟合戦」とも表現される内部対立があったとみられる。<参考文献>『小山市史』通史編Ⅰ

(松本一夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小山朝郷」の解説

小山朝郷 おやま-ともさと

?-1346 南北朝時代の武将。
小山秀朝(ひでとも)の子。建武(けんむ)2年父の戦死により家督をつぎ,下野(しもつけ)(栃木県)の守護となる。建武4=延元2年南朝方の北畠顕家(あきいえ)軍に小山城を攻められ一時捕らえられる。興良親王をたて,南朝に対して分派行動をくわだてたりした。貞和(じょうわ)2=興国7年4月13日死去。幼名は常犬丸。初名は朝氏。通称は小四郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の小山朝郷の言及

【下野国】より

…さらに41年(興国2∥暦応4)の藤氏一揆は親房を悩ませた。それは,前関白近衛経忠が藤原氏子孫の小山氏や常陸の小田氏,結城氏に働きかけ,いわゆる藤原同盟を結成し,経忠自身が天下の政権をとり,小山朝郷(朝氏)が〈坂東管領〉になるという構想であり,明らかに南朝でも北朝でもない第三王朝の建設を目ざしたものである。この構想は46年(正平1∥貞和2)小山朝郷の死で実現に至らなかったが,動乱の最中における注目すべき動向であった。…

※「小山朝郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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