小山城(読み)おやまじょう

日本の城がわかる事典 「小山城」の解説

おやまじょう【小山城】

栃木県小山市にあった城。中久喜城跡鷲城跡とともに国指定史跡となっている。平安時代以来、武蔵国に本領を有した太田氏一族の小山政光が1150年(久安6)ごろに、下野国小山に移住して築いた居館がその起源とされる。政光はこれ以降小山氏を名乗った。小山氏は鎌倉時代には下野国守護に任じられるまでになった。当時、小山氏が居城としていたのは鷲城(同市)で、小山城はその支城に過ぎなかったが、南北朝時代の当主の小山泰朝が居城を小山城に移して以来、小山氏の本城となった。1380年(康暦2)から1383年(永徳2)にかけて起こった小山義政の乱では、その拠点となった。この乱で小山氏は室町幕府追討を受けて断絶したが、のちに同族の結城家から養子を迎えて再興した。1574年(天正2)、小山城は北条軍の攻撃により落城して、城主小山秀綱は常陸国の佐竹義重のもとに逃れた。小山城は北条氏の城となり、北関東攻略の拠点として北条氏照による城の拡張が行われた。その後、小山秀綱は関東管領として厩橋城(群馬県前橋市)に入った織田信長重臣の滝川一益のはからいで小山城に戻り、北条氏配下となった。しかし、北条氏の配下であったことから、小山城は1590年(天正18)の小田原の役の際に結城晴朝の攻撃を受けて落城し、小山氏は断絶した。小山城は1600年(慶長5)、会津の上杉氏征伐に向かった徳川家康が石田三成の挙兵を知り、評定を行った城としても知られる。1616年(元和2)、本多正純が3万石で小山城に入城したが、正純は1619年(元和5)に宇都宮城転封となったことから、小山城は廃城となった。現在、城跡城山公園となっており、土塁・堀切・馬出しなどが残っている。JR東北本線・宇都宮線小山駅から徒歩約8分。◇祇園城(祗園城)とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の小山城の言及

【小山[市]】より

…《和名抄》に都賀郡小山郷と見える。小山政光が思川東岸の丘陵に築いた小山城(祇園城)は1590年(天正18)小田原征伐に伴い小山氏が滅亡して破却された。3万3000石を与えられて小山城を再興した本多正純は1617年(元和3)日光造営工事を指揮したので,思川の乙女河岸で陸揚げされた資材は小山,壬生(みぶ)経由で送られた。…

※「小山城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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