小川内村(読み)こがわちむら

日本歴史地名大系 「小川内村」の解説

小川内村
こがわちむら

[現在地名]大口市小川内

山野やまの山野村の西と北にある。大口郷北西端の村。北は肥後葦北あしきた石坂川いしざかがわ村・大藪おおやぶ村・越木場こしこば(現熊本県水俣市)、西は出水いずみ上大川内かみおおかわうち(現出水市)。大口筋が通り、中央部を流れる小川内川と交差する辺りに境目番所があった。天正一五年(一五八七)六月、木食興山に伴われて上洛する島津竜伯(義久)は同月一七日幸田こうだ(現栗野町)から「大口小河内」に着いた。途中出迎えに出た大口城の新納忠元は当地で竜伯に拝謁してその忠勲を賞され、剃髪後の名為舟を与えられたという(新納忠元勲功記)。同二〇年三月五日高麗への出陣のため島津義弘一行より少し遅れて肥前名護屋なごや(現佐賀県鎮西町)へ向かった新納忠増は、「山野の里も打過て、肥後とさつまの境なる小川内といへるに着ぬれハ」、同所の主が甘酒を汲もうと待受けていたが、道を急いでいたため馬上で飲み、肥後へと入っている(「新納忠増日記」旧記雑録)


小川内村
おかわちむら

[現在地名]坂本村小川内

球磨川の支流百済来くだらぎ川沿いの村。東は舟倉ふなくら村、西は二見ふたみ(現八代市)に接する。「国誌」に高一四八石四斗余、辻堂一とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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