日本歴史地名大系 「小河内村」の解説
小河内村
おがうちむら
中世の支配関係は不明であるが、東隣の飯室村や南隣の久地村が国衙領であったから、当地域も国衙の影響下にあった可能性がある。応永一一年(一四〇四)九月二三日の安芸国諸城主連署契状(毛利家文書)には、在地名を冠する「小河内沙弥妙語」の名がみえるが、享禄四年(一五三一)閏五月九日の毛利元就証状(吉川家文書)では、小河内は鈴張・飯室など五村とともに吉川興経に安堵されている。
小河内村
おごうぢむら
小河内村
おごちむら
小河内村
こがわちむら
小河内村
おごうちむら
小河内村
こごうちむら
小河内村
おかわちむら
小河内村
おがわちむら
小河内村
おごうちむら
小河内村
おかうちむら
小河内村
こごうちむら
小河内村
おがわうちむら
小河内村
こがわちむら
- 熊本県:八代市
- 小河内村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報