小川直子(読み)おがわ・なおこ

朝日日本歴史人物事典 「小川直子」の解説

小川直子

没年:大正8.9.6(1919)
生年天保11.5.9(1840.6.8)
明治期の教育者。加賀(金沢)藩士河島良左衛門と三子の娘。名は昌。母に和歌を学ぶ。同藩の勤王志士小川幸三と結婚。その後1年足らずで夫は幽閉,斬首され,直子は夫の身代わり処刑を訴えたが,許されなかった。以後夫の名誉回復と家名再興に尽くした。維新後は教育者を志し,金沢女子師範に聘せられ,のち青森女子師範の教頭などを経て,明治天皇の皇女らの御用掛を11年間務めた。<著作>『竹の下枝』

(柴桂子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小川直子」の解説

小川直子 おがわ-なおこ

1840-1919 明治-大正時代の教育者。
天保(てんぽう)11年5月9日生まれ。小川幸三の妻。石川女子師範をへて,明治10年青森女子師範の教頭となる。26年から品川弥二郎推薦により宮内省の御用掛をつとめ,昌子内親王,房子内親王の教育を担当した。大正8年9月6日死去。80歳。加賀(石川県)出身。初名は昌。著作に「忍草」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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