日本大百科全書(ニッポニカ) 「小幡英之助」の意味・わかりやすい解説
小幡英之助
おばたえいのすけ
(1850―1909)
歯科医学者。豊前(ぶぜん)国中津殿町(大分県中津市)に生まれる。長じて上京し、慶応義塾に学ぶ。のちに横浜で診療所を開設していたアメリカ人歯科医エリオットSt. George Eliott(1838―1915?)の門に入り、歯科医学を修めた。1875年(明治8)に東京医学校(東京大学医学部の前身)で歯科試験に合格し、同年10月2日に歯科医術の開業免状を下付された。この免状は医籍第4号であるが、「歯科」専門の嚆矢(こうし)である。東京の京橋に開業し、そのかたわら多くの門下生を教育した。門下生は1890年に歯科研究会を結成したが、これは日本の歯科医学会の始まりである。明治42年、60歳で永眠した。墓は東京都港区の青山墓地にあるが、郷里の中津市公園に1937年(昭和12)胸像が建てられた。
[本間邦則]
『今田見信著『小幡英之助先生』(1973・医歯薬出版)』