小座村(読み)おざむら

日本歴史地名大系 「小座村」の解説

小座村
おざむら

[現在地名]鏡野町小座

東は土居どい村・貞永寺ていえいじ村、西はいり村・上森原かみもりばら村、南は瀬戸せと村・真加部まかべ村に接し、南西端の一部を吉井川左岸に接する平地村落。正保郷帳に高五五四石余、うち田方四七二石余・畑方八二石余とある。「作陽誌」では家数五九。元禄一〇年(一六九七)美作国郡村高辻帳では改出高一二〇石余、開高五二石余。文政元年(一八一八)の津山領郷村帳では上分三六一石余・下分三六六石余に分れる。明治五年(一八七二)上分・下分が合併して小座村となる。弘化三年(一八四六)の五人組人別帳(中島文書)では家数五七・人数二〇九、うち男一一九・女九〇。


小座村
おざむら

[現在地名]東庄町小座

宮本みやもと村の西に位置し、南は粟野あわの村。慶長七年(一六〇二)検地帳(小座区有文書)が残る。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高二一一石余で、幕府領と旗本小笠原領。弘化二年(一八四五)の関東取締出役控帳では幕府領一一石余・小笠原領二〇〇石で、家数三六。享保九年(一七二四)粟野村内にある湧水の用水溝をめぐり争論となり、幕府代官が派遣されている(高森家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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