小成田村(読み)こなりたむら

日本歴史地名大系 「小成田村」の解説

小成田村
こなりたむら

[現在地名]柴田町小成田

南西の(二一二・七メートル)や東の丘陵に挟まれた谷間にある小村。東・南は舟迫ふなばさま村、西・北は成田村。村名は成田村の分村であったことによると思われる。天文二二年(一五五三)集成の晴宗公采地下賜録によれば、同一一年六月まで成田三郎左衛門と東沼辺丹後守が知行していた柴田庄「こなり田」の地が小泉伊勢守に与えられている。また弘治二年(一五五六)伊具いぐ小斎こさい(現丸森町)で戦死した小成田惣右衛門は当地の領主であったという(伊達世臣家譜)正保郷帳では旱損と注され、田五貫六七文・畑一貫二二一文、ほかに新田一二文。寛文元年(一六六一)の田村右京分村付帳(一関市立図書館蔵)では、岩沼城主田村宗良の本知六貫三〇〇文(うち倒目三三五文)、除屋敷一四八文。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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