小林佐兵衛(読み)コバヤシ サヘエ

20世紀日本人名事典 「小林佐兵衛」の解説

小林 佐兵衛
コバヤシ サヘエ

江戸時代末期・明治期の社会事業家,俠客 司馬遼太郎の小説「俄」のモデル。



生年
文政12年(1829年)

没年
大正6(1917)年8月20日

出生地
大阪府

別名
通称=北の赤万

経歴
早くから俠客として立ち、幕末には大坂警備を担当していた一柳対馬守の要請で捕吏頭となるが、禁門の変で敗れた長州藩士の逃亡を助けるなど俠気に富む行動で知られた。維新後、渡辺昇大阪府知事から消防事業を依託され、北の大組頭取となって活躍。また米相場で巨財を成し、その資産を投じて小林授産所を設立、内職の教授や子弟の通学援助など貧民のために尽力。明治44年には米相場の騰貴に喘ぐ貧民を救済すべく取引所に乗り込んで相場を崩し、世の喝采を浴びた。さらに高野山身寄りのない貧民700人の無縁墓建立。その生涯は浪速俠客の典型であり、司馬遼太郎の小説「俄」のモデルにもなっている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「小林佐兵衛」の解説

小林佐兵衛

没年:大正6.8.20(1917)
生年:文政12(1829)
明治期の侠客。大坂生まれ。通称は北の赤万(明石屋万吉)。年少から侠気を発揮し,幕末には大坂の警備に当たった一柳 対馬守に請われて捕吏頭を務めながら,禁門の変(1864)で敗れた長州藩士の逃亡を助けたりする。維新後に大阪の消防が請負制度になると,渡辺昇知事に頼まれ北の大組頭取として活躍した。米相場で成した資産を投じ,小林授産所を営み,多数の貧民に内職を教え,子どもは小学校へ通わせた。明治44(1911)年9月,米相場の高騰で苦しむ貧民のため,取引所へ乗り込んで相場を崩す。貧民700人の無縁墓を高野山に建立。浪速侠客の典型として,司馬遼太郎の小説『俄』のモデルになる。

(正延哲士)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小林佐兵衛」の解説

小林佐兵衛 こばやし-さへえ

1829-1917 明治時代の侠客(きょうかく)。
文政12年生まれ。明治10年ごろ大阪府知事渡辺昇の要請で消防をうけおい,北の大組頭取となる。のち私財を投じて授産所をつくるなど,まずしい人々のためにつくした。典型的な浪速(なにわ)侠客。大正6年8月20日死去。89歳。大坂出身。通称は北の赤万。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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