消防とは、その施設および人員を活用して国民の生命・身体・財産を火災から保護するとともに、水害・火災または地震などの災害を防除し、これらの被害を軽減することや、災害等による傷病者の搬送を適切に行うことを目的とする消防機関の活動をいう。第二次世界大戦後の1948年(昭和23)に施行された消防組織法および消防法は、災害の防護活動を手段として、社会の安寧秩序を保持し福祉の増進に資するという積極的な目的をもっている。したがって、個人の消防活動は当然であるとともに、消防機関による強制を受忍すべきものとして、消防用設備の設置、火の使用制限、火災通報、初期消火の協力、一定規模以上の危険物施設における自衛消防隊の設置なども含まれている。さらに、1963年(昭和38)の消防法の一部改正により、市町村は、災害や屋外などで生じた事故による傷病者を医療機関に緊急搬送するための救急業務を行うこととされた。
[岸谷孝一・窪田和弘]
明治憲法下において、消防は警察制度のなかに包含されていたが、第二次世界大戦の終結とともに、1948年(昭和23)地方行政制度と関連して、消防組織法が施行され、新しい今日の消防体制が樹立されることとなった。すなわち、地方自治の体制を本旨とし、警察から分離した消防の機構が定められたのである。また、同年消防法が公布され、火災の予防・警戒・鎮圧および火災・地震などの被害の軽減の活動を規律し、一定規模以上の防火対象物の関係者は火災予防または消火などのため、法の基準に従って消防用設備などを設置しなければならないなどの根拠が定められることとなった。
消防組織法の制定により、各市町村は消防事務を行うため、消防本部(市町村の消防事務を統括する機関。人事、予算等の消防組織そのものを維持するための事務を行う)、消防署(火災の予防、警戒、鎮圧、その他災害の防除および災害の被害軽減活動を第一線に立って行う)、消防団(主として火災の警戒および鎮圧、その他災害の防除および被害軽減の活動に従事する機関。郷土愛護の精神に基づき、有志により組織されている)の全部または一部を設けることが義務づけられ、これを市町村長が管理するという自治体消防制となった。消防の費用はすべて市町村の負担になっているため、発足当初は地方の中小町村では財政的にも常設の消防本部、消防署を置く余裕がなく、消防団に依存している所もあった。そこで、消防力を増強し、常備消防体制を確立するため、1964年、消防本部および消防署を設置すべき市町村を、人口および気象条件等を考慮に入れ政令で指定する制度が実施された(その後、全国的に消防の常備化が著しく進展し、この制度の目的が達せられたことから、2003年に廃止された)。これにより、1949年(昭和24)はわずか218市町村が常備化されているにすぎなかったのが、『消防白書』によると2011年(平成23)4月時点(かっこ内は1985年4月時点)では、常備化市町村数は1685団体を数え、常備化率は市町村数で97.8%(91.1%)となり、全人口の99.9%(98.4%)をカバーするに至った。このデータでも明らかなように、日本の消防体制は、1985年ごろには、ほぼ完備していたといえるだろう。しかし、実態としては小規模消防本部が多くを占めており、災害の大規模化、住民ニーズの多様化等へ対応するには人員、装備等に限界が生じることから、国の財政措置援助のもとに、一つの消防本部における管轄人口が30万人以上の規模を目標とした市町村の消防広域化が積極的に推進されている。消防施設、人員は、消防庁が示す「消防力の基準」(昭和36年消防庁告示2号)によって整備拡充されるとともに、装備の充実も著しい。国庫補助制度の拡充、地方公共団体の努力などにより、数の増強とともに、都市構造・消防需要の変化に対応して、化学消防自動車、はしご付きポンプ自動車、救助工作車、消防艇、ヘリコプターの整備などその近代化、高度化が進められてきている。
自治消防を自治行政の一環として総合的に推進する目的から、消防の国家機関として、総務省(旧、自治省)の外局である消防庁があり、法令や基準の企画立案、消防統計、情報の収集、消防施設の助成、消防思想の普及宣伝などにあたり、さらに市町村の消防に対して勧告・助言および指導をしている。消防庁には付属機関として消防大学校と消防審議会が、消防防災に関する研究施設として消防研究センターがある。また、事業所などに備える消防設備は一定の規格構造をもつものでなければならないため、消防に関する機械器具について規格を定め、この検定を行う機関として特殊法人「日本消防検定協会」が1963年に設置された。この検定に合格したものには、すべて検定マークをつけることになっている。
[岸谷孝一・窪田和弘]
消防業務は大別して、警防、予防、防災、救急・救助に分けられる。警防は火災を消したり、出水を防ぐなど災害発生時に出場し防御する業務で、予防は火災が起こらないよう一般に注意したり、事業所等で火災が発生した際に消火・避難・消防活動に支障となる場所を指摘したりする。また、防災は地震・風水害などの災害に対する防災活動で、救急は傷病者を緊急に医療機関に搬送する業務、救助は人命の救出活動である。
[岸谷孝一]
災害はいつどこで起こるか予測できない。不測の事態への対応はもちろんのこと、災害の複雑化・多様化にも的確に対処できるようでなければならない。そのため消防署は24時間の出場体制を敷き、消防本部がこれらを統轄している。119番通報等により通報される出火場所を消防機関で認知することを「火災の覚知」といい、覚知後ただちに火災現場に出場し、火災の進展状況に対応して救助・消火活動が行われる。
〔1〕出場体制 消防署員のうち、火災の防御や救助等に関する知識および技術を有し、災害現場における警防活動を的確に行うことができる能力を有する職員が警防要員として指定されており、24時間の交替制で勤務している。また、消防自動車をはじめ機器類はつねに点検・整備され、いつでも出場できる態勢が整えられている。
消防署員は火災がいつどこで起きても対処できるよう、受持ち区域はもちろん、隣接消防署の区域についても、地理や水利・建物の状況などを調査・研究している。火災危険度の高い建物、災害が起こると被害が大きいと予想される区域などは、あらかじめ出場する部隊の活動任務を指定した警防計画がたてられている。
〔2〕出場計画 消防本部では、火災が発生した場合、その地域の建物構成状況や街区の状況、消防隊の集結状況、消防水利の分布状況等に応じてあらかじめ出場する消防車両等を指定した出場計画がたてられている。東京消防庁を例にとると、出場計画には普通火災出場、対象物火災出場、高速道路火災出場、危険物火災出場、大規模災害出場などがある。第1出場から第4出場までの出場隊が指定されてあり、第4出場が現場に集結する部隊数や特殊車両の数が多く、火災等の拡大に応じて第1出場から順に上位に移行する。普通火災出場計画では、それぞれの地区の火災の平均延焼を推定して、出場区域ごとに4隊ないし8隊のポンプ車、救急車、指揮車や建物の実態などに応じてはしご車、救助車、化学車などが指定されている。第1出場は火災地の所轄大隊長、第2出場は署長、第3出場は方面本部長、第4出場は警防部長またはその要請によって消防総監がそれぞれ指揮にあたる。
高速道路上の火災、危険物火災または大規模の火災(大型航空機の墜落、列車等の火災)など普通火災出場では対応しがたい特異な災害の場合、高速道路線別または消防署単位に出場区を定め、警防本部(部隊の運用や災害全体を把握する消防本部の統括機能)からの指令によって出場することとされている。あらかじめ定められた出場計画に基づく出場以外に特命出場がある。これは、普通火災または大規模火災等で人命危険や延焼拡大の状況により照明車、化学車、排煙車、救援車などの特殊車を必要とする場合、現場最高指揮者の要請または警防本部長の特命によって出場したり、あるいは病院や社会福祉施設などに設置してある自動火災報知設備が作動し、自動的に119番通報された場合にあらかじめ指定された消防車両が出場するものである。
〔3〕救助・消火活動 火災の通報は、まず消防本部の消防指令センターに入り、火災の種別や規模、周囲の状況などによって、必要数の部隊の出場が各消防署に指令される。火災の現場では、人命の救助が消火に優先し、人命の検索・救助、避難誘導が行われる。消火方法は、建物火災、森林火災、車両火災あるいは船舶火災などの火災の種類、および木造建物、防火造建物あるいは耐火造建物など建物の構造に応じて、水で燃焼物の温度を低下させる冷却消火、酸素供給を断つ窒息消火、および燃焼物を取り除く除去消火、酸素あるいは可燃性気体の濃度を希釈させる希釈消火がある。近年とくに都市部においては高層建築物の増大、地下街・高速道路の拡大など都市構造は複雑化し、危険物火災、電気火災、化学薬品火災など特異な火災が後を絶たないので、それらに対応した各種の消防自動車や消防機械器具が備えられている。また、救助・消火活動は、災害全体を統括する指揮本部を災害活動現場内に設けて行われる。しかし、高層建築物や大型建築物では、救助を必要とする人や煙・火炎の拡大などの状況が外部から把握しにくいので、これらの建物は防災センターが設けられることになっており、防災センターに指揮本部を設け、正確な情報のもとに適切な判断を下しながら救助・消火活動を行う。救助・消火活動の結果は詳しく検討され、その効果が評定されて技術向上の資料とされる。また、火災の原因や損害の調査は、火災予防の参考資料として活用される。
[岸谷孝一・窪田和弘]
火災から国民の生命や財産を保護するためには、消防法令や火災予防条例などに基づき、出火防止のための対策や火災発生時の人的・物的被害を軽減するための諸施策を講じることが重要である。第一線の消防機関では、防火査察(火災の調査を含む)および防火管理、危険物、消防用設備等の知識を有する予防要員が火災予防の指導にあたっている。なお、古くから「火の用心」ということばで火災予防にあたってきたが、現代の消防では、煙・熱の感知器を含む自動火災報知設備、通報設備、初期消火器具・設備などが火災予防の設備として、建物の用途・規模などに応じて設置することとされている。
次に火災予防に関するおもな業務をあげる。(1)新築・増築・改築に伴う消防上必要な指導、(2)建物に消火設備・警報設備・避難設備などを備え付ける場合の指導、(3)各種火気使用器具や設備の位置・構造・管理などの指導、(4)危険物の製造所・貯蔵所・取扱所などの適正管理指導、(5)興行場・工場などの防火管理についての火災予防査察、および火災危険箇所の修理・改善の指導、(6)旅館・ホテル・百貨店などの不特定多数の人が利用する建物への安全性の指標となる防火優良認定証(いわゆる適マーク)の交付、(7)消火活動上特別の注意を必要とする大きな工場・事務所・百貨店・ホテルなどにおける自衛消防隊の組織化、その防火管理者、自衛消防隊員の指導育成。
[岸谷孝一]
1959年(昭和34)9月の伊勢湾台風によって大災害が発生したのを契機に、1962年7月、地震や風水害から国民を守るための対策に関する災害対策基本法が施行された。従来の災害対策は各省庁ばらばらに行われ、総合的な配慮がなされず、災害に対する計画も統一性を欠いていた。同法はこれらの欠陥を是正し、国と都道府県または市町村を通じ、必要な防災対策を確立するとともに、防災計画作成、災害予防、応急対策、復旧、復興などの基本を定めたものである。災害対策基本法の制定に伴い、消防組織法も1963年に一部改正され、消防の任務に「水火災又は地震等の災害を防除」することが加えられ、消防の任務は火災予防・警戒・鎮圧にとどまらず、広く災害一般についてこれを防除し、被害の軽減を図るものとされた。おもな業務は次のとおりである。
〔1〕水防 洪水や高潮による災害の警戒防御と人命の安全を図るのが目的で、水防法に基づき市町村対策本部を中心に、警察、自衛隊、水防団などと協力し、状況に応じた警戒防御にあたる。
〔2〕救出・救護 救急業務につながる仕事で、人力や機材を用いて危険な状態を排除し、災害・事故などによって下敷きあるいは挟まれたりして自力で脱出できない人を救出する。
〔3〕その他 地震その他の天災など広域災害に対する各種人命救助、被災民の避難誘導、危険箇所の警戒巡視、障害物の除去など、広い範囲の防災活動を行う。
[岸谷孝一・窪田和弘]
日本の救急業務は、1931年(昭和6)に日本赤十字社大阪支部で開始したのが最初である。消防機関では1933年に横浜市、1934年に名古屋市で救急隊が創設されたのを機に、大都市を中心に消防機関が任意に実施していたが、1963年(昭和38)に消防の任務として法制化された。当初は、救急業務を行わなければならない市町村の範囲が示され、消防本部を置き一定の人口規模を有する市町村とされていたが、2003年(平成15)に規定条項が削除され、救急業務の実施はすべての市町村が有する消防責任としてとらえられるようになっている。
救急業務とは、交通事故や火災、工事現場などで負傷した人や、重篤な症状のある急病人に応急の手当てをしながら、安全迅速に医療機関へ搬送することである。『消防白書』によると、救急業務を実施している市町村は、2010年4月時点で1689市町村に上り、全市町村の97.9%、全人口の99.9%がカバーされている。全国の消防機関に設置されている救急隊は4927隊となっている。2010年における全国の出場件数は546万7620件、対前年比約7%の増加率で、今後も同様な傾向が続くことが予想される。1日平均出場件数は、1万4969件で、58秒に1回の割合で救急隊が出場し、国民の26人に1人が救急隊によって搬送されたことになる。出場件数を事故種別ごとにみると、第1位が急病によるもので約62%を占め、ついで一般負傷、交通事故の順となっている。
出場件数は年々増加し、救急需要が多様化してきているにもかかわらず、救急隊員の行う応急処置に明確な基準は定められておらず、全国的にも不均衡を生じていた。このような状況を解消するために、消防庁では、1978年(昭和53)に「救急隊員の行う応急処置等の基準」を定め、応急処置の内容を明らかにし、全国的な応急処置の統一化を図った。救急業務法制化当時には救急業務の範疇(はんちゅう)として明確にされていなかった「急病」に対応するために、1986年(昭和61)に消防法の改正が行われた。さらに、1992年(平成4)の救急救命士制度の導入など、救急業務の質的な充実を図るための施策が進められてきた。なお、「救命率の向上」に向けて、迅速な119番通報、心肺蘇生、除細動などについて、住民に向けた応急手当の講習会が全国各地で開催されており、社会全体でのシステム作りが推進されている。
[窪田和弘]
消防制度が自治体消防となり、水・火災または地表系の災害に的確に対応して被害を最小限に食い止めるため、消防施設および人員を前述の「消防力の基準」に照らし、その基準に近づけるよう努力がなされているが、まだ十分とはいえない。各種装備については、消防隊が組織されて以来、長い間、消防隊の装備は防火兜(かぶと)に刺子(さしこ)、鳶口(とびぐち)・かけ矢などの破壊器具と梯子(はしご)程度であったが、産業経済の発展に伴って化学工業が発達し、石油・ガソリンなどの危険物が大量に取り扱われるようになり、消防装備も科学的、機動的、能率的で安全な消防活動ができるよう改善されている。しかし、市町村の財政能力や形態・特殊性に応じてかなり違いがあるが、おおむね次のような消防装備・施設を整えている。
(1)隊員の装備 火災による熱や落下物等の危険から消防隊員の安全を確保するとともに、消火水による消防隊員の水漏れを防止するための装備品で、防火外套(がいとう)、防火帽などからなる。防火外套の服地は芳香族ポリアミド綾織りの布を幾層にも重ねたもので、熱防護性能(ガスバーナーで接炎させて、生地の裏側が24℃に達するまでの時間)に優れる。また、耐熱防火被服は強い輻射(ふくしゃ)熱を受ける大規模な油脂火災等の消火作業時に装着する被服で、数層からなる耐熱性の高い服地で作られる。ラジオ・アイソトープ施設などの火災に放射能から隊員を保護する放射能防護服や化学防護服などもある。また、放射能測定器、可燃性ガス測定器、有毒ガス検知器、空気呼吸器、携帯無線機、携帯拡声器などが使用されている。
(2)消防車積載器具 照明器具、空気呼吸器、ガス溶断器、油圧救助器具、エンジンカッター、救命索発射銃、ロープ、送水ホース、ホース搬送台車、はしごなどの器具を装備している。
(3)消防水利 消防機械が発達し、消火技術が進歩した今日でも、水は消防活動の中心をなすものの一つである。火災現場に出場した消防隊は、現場付近の消火栓、貯水槽、プール、河川などの水を利用して消火を行う。消防水利施設の設置状況の良否は、火災を大きくするかどうかを左右する重要な要素である。消防庁では消防水利の基準を定めて市町村に勧告している。この基準による必要な水利施設は市街地の建坪(けんぺい)率などをもとにして算定されるが、一般の市街地では半径120メートルの円内(約4万5000平方メートル)に毎分1立方メートル以上の水を連続40分以上供給できる能力の消火栓または貯水量が40立方メートル以上の貯水槽をバランスよく配置することが必要である。外国の都市には防火専用水道を設けている所がある。また地震による火災に対処するために大型の耐震性貯水槽の整備が図られつつある。
(4)水上消防隊 船舶火災、沿岸の火災、海難事故の救出・救助などに備えて港を受け持つ消防署に配置されている。
(5)航空隊 消防活動に空からの指揮支援、救助、あるいは傷病者の緊急輸送のほか、林野火災の消火にヘリコプターが活躍している。また、地震等の大規模な災害で、道路の陥没や車両の渋滞等により陸上交通が麻痺(まひ)するような事態では、ヘリコプターの高速性、移動性を活用した上空からの情報収集が極めて有効である。
(6)特別救助隊 高層ビル火災、転落事故、水難事故などに出場し、人命の救出・救助に従事する消防隊。救助・破壊器具や高度の技術を駆使し、重量物や倒壊物によって下敷きあるいは挟まれて自力で脱出できない人を安全な方法で迅速に救出し、人命の安全確保にあたる。
(7)緊急消防援助隊 阪神・淡路大震災の教訓から、都市機能が麻痺(まひ)するほどの甚大な震災や、複雑・特異な災害発生時に通常の消防隊では対応が困難な災害に対処するため、特殊な技術、能力を備えた消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)が1996年に東京消防庁で創設されたのを契機に、多く消防本部でもそれぞれの特性を生かした部隊がつくられるようになった。ハイパーレスキューはブルドーザーなどの道路啓開用重機、市街地大火に対処するための遠距離大量送水装置、高度探査装置(箱状のアンテナから電磁波を放射し、土砂やがれきのなかの生存者を探す)、画像探査装置(がれきの小さな隙間からファイバースコープの先端を差し込んで内部の状況を確認する)などの装備をもつ。1995年に発足した、国内の大規模災害発生時における消防の広域応援を行う緊急消防援助隊のなかに、ハイパーレスキューは救助部隊としても編成されている。2004年(平成16)の新潟県中越地震での崩落現場からの男児救出をはじめ、2011年の東日本大震災では、市街地火災の消火活動、福島第一原子力発電所における事故対応、人命救助活動、遠距離救急搬送など日本の消防活動史に残るような活動実績がある。
[岸谷孝一・窪田和弘]
火災が発生した場合、火災を速やかに知らせ、素早い消火や安全な避難が行え、さらには火災が拡大しても消防隊が有効に消火できれば、火災による被害を軽減することができる。しかし、これらの行動をすべて人が行うことには限界があり、これを補うものが消防用設備である。消防法により、新たに学校、病院、工場、事業場、興行場、百貨店、旅館、飲食店、地下街など一定の防火対象物を建築する場合には、その関係者は当該防火対象物の用途、規模、構造および収容人員に応じて、一定の基準に従って消防用設備等(警報設備・消火設備・避難設備・消防用水および消火活動上必要な施設)を設置し、維持しなければならないとされている(消防法17条)。1974年(昭和49)消防法の改正により、不特定多数の者が利用する建物では既存のものであっても、現行の基準によって消防用設備等の設置が義務づけられることとなった。
[岸谷孝一・窪田和弘]
人々が集落をなし、類焼の危険を生ずるようになった江戸時代に消防が発達した。江戸幕府は江戸城を火災から守るために、大名火消(だいみょうひけし)を設けて火の番を命じ、火災に際しては老中の名をもって「奉書(将軍の命令書)」を出して大名を非常招集した。これが日本に初めて現れた消防隊である。また、幕府は大名火消のほかに、旗本に幕府直属の火消役を命じて、江戸城と武家屋敷の消火にあたらせた。これを「定火消(じょうびけし)」とよんだ。一方、町家の火災に際しては、八代将軍吉宗が江戸南町奉行(ぶぎょう)大岡越前守に命じて町火消を組織した。この町火消は鳶(とび)職によって構成され、無報酬で熾烈(しれつ)な火災と戦い、「江戸の華」として称賛され、現在の消防団の前身になっている。
[窪田和弘]
約270年続いた江戸幕府が幕を閉じ、1868年(明治1)明治天皇のもとに新しい政府が生まれて数多くの制度改革が行われた。消防制度もその例外ではない。定火消と大名火消からなる武家火消は廃止され、定火消の役員などから火災防御隊が編成されて軍務官(後の兵部省(ひょうぶしょう))に属することになったが、これは1869年に廃止された。
東京では、1868年に町火消が、江戸町奉行所にかわって設けられた市政裁判所に属することになった。翌1869年、東京府に消防にかかわる事務を担当する消防方(がた)が設けられ、翌年、家税の法が定められて、官私の別なく家税を賦課徴収して消防費にあて、町火消は消防組と改められた。その後、消防事務の所管は東京府と政府の間で二転三転し、1874年東京警視庁が創設されて以降、警察が管轄するところとなった。初代警視総監川路利良(かわじとしよし)大警視は、ヨーロッパの警察と消防の制度を視察して帰り、消防章程を定めて消防制度の基礎確立を図った。また、蒸気ポンプを輸入したり、これの国産化を図り、日本の消防はようやく近代機械消防への途につくことになる。1880年(明治13)、東京消防庁の前身である公設の消防本部が設置された。その後、勅令をもって1894年消防組規則が公布され、義勇消防制度に初めて法的地位が与えられる。各地の消防組の設置および運用の細目は知事にゆだねられた。これにより全国の公設消防組は順次整備され、社会情勢の進展に伴って常備化の方向に定着しつつあった。
[岸谷孝一・窪田和弘]
大正に入ると、東京においては1913年(大正2)警視庁官制の一部改正に伴い、すべての消防職員は、高等官、判任官または判任官待遇となり、名実ともに官制消防制度が確立されたわけである。翌1914年、横浜市と名古屋市は先んじてポンプ自動車を輸入し、1917年から1918年にかけて警視庁は従来の蒸気ポンプ、水管馬車を順次ポンプ自動車、水管自動車に改めた。
[岸谷孝一]
続いて、1919年7月には勅令をもって特設消防署規程が公布され、京都、大阪、神戸、名古屋、横浜の各市に専管消防署が置かれ、それ以降これらは官設消防と称されるようになった。1923年9月1日に発生した関東大震災によって東京は壊滅的な打撃を受けたことから、震災後の消防力を立て直すために、ポンプ自動車、水管自動車等が購入整備され、消防力は一段と強化された。1926年(大正15)には電話の自動交換方式が公衆用として始められ、火災通報のダイヤル「112」が採用された。その後1927年(昭和2)、現在の火災通報用電話番号「119」に変更された。
[窪田和弘]
昭和に入り消防の近代化が始まった。消火栓等消防水利の整備拡充、防火行動や部隊編成など非常時大災害に対処すべき体制が敷かれ、防空消防の強化に伴ってその体制は強化されていく。また明治の末日本に自動車が走るようになり、その後、増加の一途をたどることとなった交通事故に対処するために、1933年に神奈川県警察部で救急業務が最初に開始され、さらには愛知県警察部、警視庁消防部が運用を開始した。東京では、当初民間からの救急車6台の寄贈を受けて開始し、その後第二次世界大戦下で空襲に備え、1942年までに40台を購入、各警察署に1台づつ配置し業務を行った。
1937年盧溝橋(ろこうきょう)事件に端を発した日中戦争から日本全体が戦時体制をとることとなり、消防もその影響を受けた。この時期の消防は、空襲から国土をいかに守るべきかという防空消防に徹していた。同1937年12月、防空法の公布を起点として、灯火管制規則、防空建築規則などが相次いで制定公布され、東京では日常火災や空襲に備えて、江戸時代の五人組に倣(なら)った家庭防火群の組織化が始められた。1939年になると隣組防空群と改称され終戦まで続いた。同年に結成された警防団は消防組と防護団が合併したもので、民間防空群の主軸として活動した。1941年太平洋戦争突入を契機として、消防においても職員の出征や占領地域への職員の派遣など戦争の影響は日増しに強くなり、防空体制の強化が急務であることから、国の重点施策として消防体制も一段と強化された。東京をはじめ多くの都市が連合国軍の航空機による爆撃を受けるようになると、周辺地域からポンプ車の供出を受けたりした。しかし、その爆撃はすさまじく、消防力は物的にも人的にも大きな打撃を受けて終戦を迎えた。
終戦による世相の混乱も時の経過とともに落ち着きをみせ始め、1947年(昭和22)12月には消防の組織および運営の基本を定めた消防組織法が制定公布された。これは、消防の警察からの分離独立と確固とした地方自治体としての確立を主眼としたもので、消防の任務が明確に定められている。これまで官設消防は国の事務とされていたが、憲法の定める地方自治の本旨に則(のっと)り、市町村の消防は当該市町村が果たすべき責任を有し、管理を行うことや、消防事務を行うために消防本部、消防署、消防団を設けなければならないことなどが、明確に規定された。これにより市町村消防体制が確立されたのである。翌1948年7月、続いて消防行政の根幹をなす基本法である消防法が制定公布された。消防は、建築許可・確認の同意権、危険物施設の許認可権、火災原因の調査権などの権限をもつ行政機関として生まれかわった。従来は発生した火災を消すことに終始したのに対し、火災が発生しないようにする予防消防になったことの意義は大きい。昭和30年代に入ると経済活動が活発になり、いわゆる神武(じんむ)景気とよばれる高度成長を遂げた。それに伴い大都市では大規模建築物や危険物施設などが急増し、火災の様相、規模、出火原因などに大きな変化をきたした。消防力の充実が急務とされ、消防署の増設、救急車の増強等が進められた。さらに、国の財政措置の援助のもとに、市町村の消防広域化が積極的に推進されている。これは、消防体制の基盤の強化や人員の配置を効率的に行うことにより、住民サービスの向上を図ることがねらいで、2以上の市町村で消防組合を設置したり、消防事務を委託するなど、消防に関する事務を共同で処理するものである。消防本部数は1992年(平成4)の935から2011年(平成23)には798となっている。
[岸谷孝一・窪田和弘]
組織消防は、ローマ皇帝アウグストゥスが首都ローマに都市防火制度を設けたことに始まり、世界でイタリアがもっとも古い。イタリアの現在の制度は各州にそれぞれの消防本部が置かれている国家消防となっている。
イギリスでは、ロンドン消防隊が火災保険会社の私設消防隊として組織され、保険のかかった家屋財産を保護することを目的として設けられた。1865年に帝都消防隊法が制定され、ロンドン消防隊を統合して市に引き継がれることとなった。その後いくたびか改正が行われた。第二次世界大戦中は1941年の国家消防法により内務大臣管轄の国家消防となったが、1947年消防法Fire Service Actが制定され、州または都市の参事会の管理下に置かれる自治消防制度となっている。この制度は、自治消防といっても、中央の統制力がかなり保留されている。
アメリカの組織消防は、1676年ボストンで大火があったときに始まっている。このときの消防隊員はわずか13人であったが、この消防組織がアメリカ義勇消防隊の先駆をなすものである。1737年にフィラデルフィアに組織された「ユニオン消防隊」は、火災発生のたびに大きな効果をあげ、市民の尊敬の的になった。1861年に起こった南北戦争を契機として、主要都市の消防組織はしだいに常備消防制度に切り替えられて、今日の自治消防制度へと発展した。連邦政府が消防制度のうえで果たす役割はきわめて小さい。日本の消防本部にあたる都市消防局は市長の管理下にあり、火災の予防・警戒・鎮圧のほか、救急業務を行っている。火災の予防についても歴史は古く、1896年には米国防火協会(NFPA)が設立され、各種の防火基準の作成を行ってきており、現在も続けられている。
フランスの消防制度は、軍隊組織のなかで育ち、欧米各国の消防制度とはその趣(おもむき)を異にした存在である。1789年のフランス革命後の治安は警察と軍隊と消防隊によって守られ、1866年に正規の軍隊として再編成されたものが、第一次、第二次世界大戦中はフランス陸軍のなかでもっとも強力な部隊として、都市の火災防御にあたった。現在はほとんど自治消防であるが、パリは陸軍、マルセイユは海軍がいまなお消防にあたっている。
ドイツは、1842年ハンブルクに大火が起こったとき、10月、市会は初めて消防隊の設置を可決した。これがベルリン消防隊である。第二次世界大戦によって壊滅的打撃を受けたドイツは東と西に分割され、ベルリン消防隊は東ドイツに属することとなった。西ドイツは、1949年に制定された基本法(日本の憲法にあたる)により消防行政は市町村が責任をもち、各州の内務省が監督する自治消防となり、戦前に劣らぬ消防力を擁した。東西ドイツ統一後は、旧西ドイツの消防行政制度が全国で採用されている。
[岸谷孝一]
『魚谷増男著『消防の歴史四百年』(1965・全国加除法令出版)』▽『東京の消防百年記念行事推進委員会編『東京の消防百年の歩み』(1980・東京消防庁)』▽『石井隆・勝畑武著『消防の沿革』(1984・葵出版社)』▽『自治体消防制度40周年記念式典等実行委員会編『自治体消防四十年のあゆみ』(1988・全国加除法令出版)』▽『古荘信宏著『消防の世界 安全なくらしを守る』(2003・近代消防社)』▽『総務省消防庁編『消防白書』各年版』
消防という言葉は,かつては発生した火災を単に消火する作用だけをとらえて用いられていたが,現在では火災を予防・警戒および鎮圧することにより,火災から国民の生命・身体および財産を保護するとともに,水火災または地震等の災害を防除し,およびこれらの災害による被害を軽減することを目的とした行政を表現するものとなっている。さらに1963年以降は救急業務についても法的に根拠づけられたこともあって,防災機関としての消防は広く国民一般の安全確保を図るための重要な行政組織として位置づけられている。とりわけ近年は予防に係る行政が重視され,建築確認時の同意や指導のほか火気・危険物規制,消防用設備等に係る設置と維持管理規制,火災調査,防火管理指導および防災指導などを軸とした業務を積極的に推進することにより,社会の安寧秩序の保持と公共福祉の増進に当たっている。
組織化された最古の消防隊はエジプトに存在したといわれているが,その内容については明確でない。多少なりとも内容の知られるのは,後6年のローマ大火を契機に,皇帝アウグストゥスが組織したローマの消防隊である。これはウィギレスVigilesと呼ばれ,消防隊であると同時に首都警護の軍隊でもあり,通常〈見張番〉と訳される。隊員は解放奴隷のなかから選ばれ,一定期間の服務後は本人とその家族に対してローマ市民権が与えられることとなっており,消防隊の社会的地位は高いものだったと想像される。また近年発掘されたローマの遺跡などから,当時の消防署施設や設備面などがきわめて充実していたことが確認されている。この消防隊は1隊が1000人で7隊(コホルテス)をもって編成され,その装備はバケツ,ホース,組立てばしご,斧,ハンマー,のこぎり,車の付いた水噴出器,および脱出用の大枕などであった。そして消防隊は消火係,人命救助係,現場を照明する係などの隊員で編成され,人口100万人といわれるローマ市の各地区に配置されていた。強力な権限を有する見張番長官(プラエフェクトゥス・ウィギルム)の指揮を受けて火災の鎮圧作業に従事したほか,犯罪の面でも市民の生命,身体および財産を守ることをその任務としていた。
日本の消防は市町村を基本的な単位として設置されているので,細かな点では各市町村で歴史は異なるが,基本的な大きな流れや組織・機能には大差ないので,主として東京を例に述べることとする(近世の消防については〈火消〉の項を参照されたい)。
1868年に江戸幕府が崩壊して明治政府になると,〈定火消〉をはじめとする武士による消防組織は廃止されたが,〈町火消〉の組織は町奉行所を改組した南北市政裁判所の監督下に置かれ,東京の消防として継続した。以来東京における唯一の消防組織となった町火消は,72年〈消防組〉と改組されて東京府消防局の監督下に置かれたが,さらに所管は司法省警保寮,東京府,司法省警保寮,内務省警保寮などと転々と移管され,74年創設された東京警視庁の安寧課消防掛を経て,80年6月1日創設の消防本部が消防業務を担当することとなって,体制が固まった。日本の近代的な消防の幕あけは,1872年に江藤新平の随行員として欧州各国に出張し,警察および消防制度を視察して帰国した川路利良の意見とその施策によるところが大きいとされる。74年1月28日には現在の消防組織法および消防法の元祖といえる〈消防章程〉が制定され,フランスからイギリス製の腕用ポンプなどを輸入して機械化を図り,また80年には長年の消防組の習慣の改善をねらいとして,軍隊式消防隊を組織するために消防専門職員である消火卒を300人募集している。しかし消火卒による消防隊は,従来の公設消防組や私設消防組と対立して紛争が絶えなかったほか,消防技術でも劣るものがあり,さらには東京府の予算削減などで結局は皇居に係る消防隊のみが残されて,他の部隊は創設の翌年に廃止され,以後は従来の公設および私設の消防組によって東京の消防が行われた。81年に警視庁消防本部が警視庁消防本署と改称され,また東京府内には現在の消防署の前身である消防分署が6分署設置されて,以来消防分署長の指揮下に消防組員によって消防事務が行われるようになった。91年4月1日からは警視庁官制の改正により消防本署は消防署と改称,1906年には消防署を消防本部に,消防分署は消防署と改称,その後13年6月13日からは消防本部が消防部となって長期間継続し,警視庁から消防事務が分離独立した48年3月7日になって東京消防本部に,そして同年5月1日から東京消防庁となって現在に至っている。
このように日本の消防は長年にわたって全国的に警察の組織として運営されてきたが,第2次大戦後の1947年に消防組織法,翌48年に消防法が制定されるとともに警察機関から分離し,独自の行政機関として再出発したのである。この急速かつ広域な機構改革と近代化の実現には,消防行政の育成・指導を担当したGHQ公安課の主任消防行政官ジョージ・W.エンジェルによるところが大であったといわれている。制定された消防組織法によると,市町村の消防は市町村が責任を有し,条例に従い市町村長が管理するとともに消防に要する費用は市町村が負担し,また市町村はその消防事務を処理するため消防本部,消防署,消防団の各機関の全部または一部を設置しなければならないとされ,とくに政令で定める市町村では消防本部と消防署の設置が義務づけられている。ただし東京都については例外的に特別区(23区)の存する区域をもって一つの市とみなされ,特別区が連合して消防の責任を有し,また都知事が消防を管理し消防長を任命することとしているが,多摩地区(2市を除く)の消防事務についても委託を受けて,東京消防庁の組織として事務を執行している。なお,各地の市町村消防を有機的に結合させるとともにこれらの充実・発展を助長し,また全国的な消防の基準や法令等を企画立案する国家機関として消防庁がある。ただし,消防庁には原則として市町村の消防に対しての指揮監督権はなく,単に助言・勧告および指導を行うことだけに限定されている。
消防用の最古の機材は,前440年ころのギリシアでアポロドロスが開発したとされる牛腸を利用した加圧放水器といわれる。次いで前2世紀ころアレクサンドリアのクテシビオスが手動のピストン式ポンプを製作したとされている。ヨーロッパでは水鉄砲式の消火用具からしだいに手押し式のピストンポンプへと移行し,蒸気機関の発明で1829年には蒸気消防ポンプが開発され,さらに内燃機関が出現して1900年ころからガソリンエンジンを用いた消防自動車が製作され,広く使用されるようになった。日本では長期間にわたって破壊消防(後述)を主としていたが,1754年(宝暦4)ころに竜吐水と称する手押しポンプが長崎に出現し,64年(明和1)に江戸幕府が採用して以来このポンプが急速に普及した。さらに1875年フランスから性能の優れたイギリス製手押しポンプを輸入し,これを模倣して国産化を図ったため,全国的に消防機関で使用されるようになった。1870年には東京府消防局がイギリスのシャンド・メーソン社から蒸気消防ポンプを初めて輸入して試用し,99年にはこれらを模倣した市原ポンプなどの馬引き蒸気消防ポンプが国産されるようになり,以後は機械化が進み動力消防ポンプの時代となった。ガソリンエンジン式の消防ポンプ自動車は1914年に横浜市がイギリス,名古屋市がドイツから輸入したのに始まり,以来国産のものも製作されて現在に至っている。はしご自動車は1903年に東京消防局がドイツのリーブ社から輸入した木鉄混合の救助はしご車が始まりとされ,以来高層建築物の消火作業や人命救助等に活躍している。また救急業務の主力である救急車は33年に横浜市,翌年に名古屋市が採用したのに続き,東京では横浜・名古屋や欧米各国の救急車等を参考として,アメリカのダッジ・ブラザース社の車体に艤装(ぎそう)したものを34年に採用し,業務を開始している。一方,水上における船舶火災や港湾,河川沿岸の火災を鎮圧するための水上消防は,東京では36年に東京市連合防護団寄贈の1艇の消防艇を運用したことに始まり,現在は火災鎮圧のほか水上の人命救助,浸水船の救護および排水作業などをおもな任務としている。またヘリコプターの採用は,東京が66年にフランスのシュド社からアルウェットⅢ型を購入したことに始まっている。滑走路を必要とせず,かつ空中で安定して停止できるので,高層ビルや山岳地区での救助活動に有利なほか,離島における救急活動,山林火災の消火,高所からの指揮や広報,および調査などで活躍している。
火災の消火方法としては,燃焼物質を除去して消火する破壊消防や,燃焼物質に直接注水して冷却効果により消火する方法が古くから行われてきた。近年になって石油類の貯蔵・取扱施設が増加し,またコンピューターなどの精密機器類が普及し,さらに放射性物質に係る施設が増加したことから,当該施設に係る火災にあっては消火方法の改善が求められた。また注水による二次的損害を防止することもあって,泡や微小な噴霧水および二酸化炭素ガスなどによって空気中の酸素を遮断して消火する窒息消火や,炭酸水素ナトリウムやリン酸ナトリウムを主剤とした粉末消火剤あるいはハロンガスなどを用いて負触媒効果によって消火する方法も行われている。このうち石油貯蔵タンクや航空機など油を主体とする火災に対しては,主として界面活性剤を起泡剤として空気泡をつくり,燃焼物質を覆うことにより空気を遮断する泡消火の方法が一般的に行われている。化学車と呼ばれる消防自動車(化学消防車)はこの界面活性剤を常時多量に車載し,消火栓や他のポンプ自動車から給水を受けて空気泡を製造して放射するようになっており,また通称ABC粉末消火剤と呼ばれるリン酸ナトリウムの粉末を多量に車載した化学車も使用されている。
日本の消防署の組織は大きく総務,警防および予防の3部門からなる。消防,救助および救急の事務を担当している警防隊員は,一般的に三部交代または二部交代による24時間の勤務体制で各種の災害に備えており,深夜も日常の服装のまま仮眠していることから,出場指令により30秒程度で出場できるようになっている。また火災や救急事故等を発見した者は,遅滞なくこれを消防署または市町村長が指定した場所に通報しなければならない旨が消防法24条に定められている。一般的には局番なしの119番に電話での通報により消防本部(東京では東京消防庁または第8消防方面本部)に接続・受信されるのが原則である。このほか加入電話や非常通報機等で消防署や消防出張所に通報する方法や,消防署所に駆け付けて直接口頭で知らせる方法,それに警察機関に施設されている警察電話により通報する方法などがある。消防本部等では災害発生の所在地や規模,内容等により,通報を受けると同時に関係消防署所に出場指令を発し,あらかじめ事前に指定した消防車両を出場させる。このうち火災については第1から第4出場までのランクに区分し,現場の最高指揮者等の判断により適応する消防部隊を増強するほか,それぞれ上級の指揮者が出場して指揮する体制になっており,さらに事前指定ではなく例外的な特別指令によって対応する場合もある。なお,これら災害出場に要した費用はすべて市町村の負担としており,外国の一部の都市で実施しているような受益者負担はない。
消防の近代化のなかでとりわけ顕著なものに,消防用資材の急速な進歩のほか,行政的には火災予防に係る事務体制の整備と権限の強化が挙げられる。以前の消防事務は単に火災鎮圧だけの消極的な行政にすぎなかったが,第2次大戦後に制定された消防法では,たび重なる大火や惨事の経験から,それぞれの火災原因や拡大に至った原因を究明し,得た情報を防災行政にフィードバックさせることが重要とされた。そして予想される火災を未然に防止し,あるいは被害を軽減するための行政を積極的に推進することとしており,この火災予防事務は消防行政を支える両輪に例えられるほどに充実し,また重要な行政としても広く国民に認識され定着したものとなっている。すなわちこの火災予防に係る事務とは,火災の発生や拡大および惨事の要因分析を行う調査事務を基礎にして,この調査によって得た情報や消防職員の現場体験などから,危険物施設に係る許認可,建築物の新築・増築および改築時の指導や同意,火災危険度の高い建築物等に対する消防用設備等の付置,必要と認める対象物に対する立入検査(査察),潜在危険の排除,危険物取扱者および消防設備士試験の実施,国民に対する防災思想の普及,防火管理者に対する講習や指導,および避難訓練などをおもに行うものであり,今後もさらに発展が望まれる消防事務の一つとなっている。
諸外国の消防組織も日本と同様に,今までのたび重なる大火を契機として創設・組織化されており,またその初期のものは私設あるいは義勇の消防隊として発足しているが,大惨事の体験によりしだいに常備の組織に移行したものが多い。たとえば1666年のロンドン大火や76年のアメリカのボストン大火,1763年のパリのオペラ座の惨事,1842年のドイツのハンブルク大火などは,いずれも強力な常備消防を組織する直接的な契機となっている。このうちイギリスのロンドン消防隊は,ロンドン大火後に設置された火災保険会社の私設消防隊が1833年に統合されてロンドン消防車会社となったものを,66年に首都消防隊条例によりロンドン市が引き継いで組織したという異色の経歴をもつ。現在の各国の消防組織の多くは市町村を単位とする自治体によって設置されているが,州や郡を単位としたインド,オーストラリアの例のほか,旧ソ連,ギリシア,ポーランド,イタリアのように国家組織のものもある。また設置は市町村にゆだねているものの監督権が内務省にある形となっているイギリス,ドイツ,フランス,スウェーデンの例,さらにはパリ市のように特定の都市についてのみ国家組織である軍隊が行っているものもある。業務の内容は日本とほぼ同様に火災の鎮圧や救助作業のほか火災予防の事務(予防・査察・指導・調査)を行っているが,救急業務(〈救急医療〉の項参照)は消防とは別の機関で行っている国がある。
→火事 →消防団 →防火 →防災
執筆者:桑原 稔
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(川口正貴 ライター / 2009年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
…火事とは,建造物,山林・原野,輸送用機器等が放火を含め意図せざる原因によって燃え,自力で拡大していく状態にあるものをいうが,人間にとって有用なものが被災するという点からは,火災と呼ぶ。《消防白書》(消防庁編)は,火災を燃焼対象物により,建物火災,林野火災,車両火災,船舶火災,航空機火災およびその他火災(空地・土手などの枯草,看板などの火災)に分類する。このうち近年の出火件数では建物火災が毎年60%以上を占めている。…
※「消防」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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