20世紀日本人名事典 「小椋広勝」の解説 小椋 広勝オグラ ヒロカツ 昭和期の経済・外交評論家,経済学者 立命館大学教授。 生年明治35(1902)年11月19日 没年昭和43(1968)年11月6日 出生地東京市浅草 学歴〔年〕東京商科大学〔大正9年〕卒 経歴学生時代にマルクス経済学を学び、大正15年法政大学附属商業学校教諭となり、東京一般俸給者組合に参加する。昭和3年の3.15事件で検挙され懲役3年6カ月に処せられた。以後も理論家として活躍し、12年同盟通信外信部に入り、香港支局に勤務。戦後帰国し共同通信外信部外国経済主任などをするが、占領軍のレッド・パージで解雇され、以後著述に専念し、34年立命館大教授に就任した。「外資導入と国内態勢」などの著書がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小椋広勝」の解説 小椋広勝 おぐら-ひろかつ 1902-1968 昭和時代の経済学者。明治35年11月19日生まれ。昭和3年三・一五事件で検挙され,法大付属商業学校を退職。12年同盟通信に入社。戦後はレッドパージをうけ,世界経済研究所理事をへて34年立命館大教授。昭和43年11月6日死去。65歳。東京出身。東京商大(現一橋大)卒。著作に「社会主義入門」「戦争と経済」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by