一般に国際間の資本移動を資本受入れ国の立場からみたときに外資導入という。導入の形態は、経営参加ないし企業支配を伴うかどうかによって、直接投資と間接投資とに分けられる。直接投資には、子会社・支店ないし合弁会社の設置、株式の経営参加的取得、技術の移転などが、間接投資には、証券投資、外債、金融機関による貸付(借款を含む)などがある。外資の導入に際しては、各国とも自国の状況に応じて、法令、条約などによって一定の制約を設けることが多い。しかし、経済協力開発機構(OECD)は1961年に資本取引の自由化を含む自由化綱領を採択し、加盟先進国は、外資導入に対する制限をしだいに撤廃してきている。
[相原 光・秋山憲治]
第二次世界大戦後、日本は外資による国内企業と市場との支配を避けるため、間接投資は促進するが直接投資は規制するという政策をとり、1949年(昭和24)制定の「外国為替(かわせ)及び外国貿易管理法」(外為(がいため)法)と1950年制定の「外資に関する法律」(外資法)とによって運用を図ってきた。日本における第二次世界大戦後の外資導入の特徴としては、戦前の外債発行による政府部門中心の外資導入に比して、民間部門が圧倒的比重を占めていることがあげられる。日本は、1964年にはOECDに正式加盟することとなり、資本自由化を義務づけられることになった。さらに、多国籍企業の活動の活発化を背景としてアメリカが資本自由化を要求したこと、高度な技術導入には直接投資の形態を外国企業が要求したことなどが強く作用して、1967年から段階的に資本の自由化を実施することとなった。その結果、1973年までに農林水産業、鉱業、石油業、皮革または同製品製造業、小売業を除いて原則として100%自由化が行われ、さらに1975年には小売業も自由化された。また1980年には外為法の改正によって外資法はこれに統一され、直接投資はこれまでの認可制から届出制となり、「原則自由、例外禁止」となった。1998年(平成10)4月には「外国為替及び外国貿易法」(改正外為法)が新たに施行され、届出制から事前の規制を受けない事後報告となった。その結果、外国為替取引がまったく自由になり、日本版金融ビッグバン(金融システムの大改革)も本格化し、外資による対日投資が急増した。
[相原 光・秋山憲治]
外資導入がもっとも問題になっているのは開発途上国においてである。第二次世界大戦後独立を達成した開発途上国の多くは、経済開発を進めるには資本や技術が著しく不足していた。したがって外資導入を積極的に進める政策をとったが、これらの外資導入は、多くの場合、先進国からの企業進出を中心とする直接投資の形態をとった。このように先進国からの企業進出が多くなるに伴って、当然ながらこれらの国々におけるナショナリズムも高まりをみせるようになり、受入れにあたって、一定の国産化率を条件としたり、経営参加を要求したりすることが多くなってきた。さらに1970年代になると、開発途上国の間に新国際経済秩序を目ざす動きが強まり、1974年に国連総会で採択された「国家の経済権利義務憲章」は、外国人資産の国有化、収用、または所有権の移転、外国投資の規制、多国籍企業の活動の規制などを国家の権利として認めた。しかし1980年代以降、開発途上国の開発政策が内需拡大などの内向的なものから、輸出指向的工業化など外向的なものへと転換され、外国投資の導入にも積極的になり、優遇措置を講ずるようになった。また先進国でもアメリカ、イギリスの諸州、諸県にみられるように、地域の産業の活性化、雇用の促進の手段として、積極的に外国企業を誘致している。ただその場合もローカル・コンテンツ(現地調達)規制のような制限をする傾向がある。
[相原 光・秋山憲治]
外国からの資本輸入のことで,国際資本移動を資本受入国の立場からみた用語。具体的には,非居住者(外国人投資家)による株式・持分,公社債,受益証券など証券に対する投資=証券投資(〈間接投資〉の項参照),国内企業等による外債の発行または海外における株式の発行,外貨借款,技術導入,外国企業等による支店の設置,不動産の取得(〈直接投資〉の項参照)などがあげられる。日清戦争後,日本は外資導入を積極的に進める方針をとり,外国公債をイギリス,ドイツ,フランス,アメリカで発行した。第1次大戦後は,このうちアメリカの割合が高まる。第2次大戦後は,ガリオア・エロア資金等のアメリカ政府による援助という形で開始された。このころまでは,政府外債をはじめとする政府部門の比重が圧倒的に高かった。その後,インフレの収束,単一為替レートの設定(1949年4月),外国資産の凍結解除(同年8月)などによって外資導入に適する環境整備が進み,1950年には〈外資に関する法律(外資法)〉が制定された。こうして外資導入が本格化してからは民間部門の比重が急速に高まり,政府部門と逆転する。
外資法の適用を受ける外資の種類は,(1)株式ならびに合名会社,合資会社,有限会社および日本銀行の持分,(2)受益証券,(3)社債,(4)貸付金債権,(5)技術援助契約,の5種類であった。外資法施行当初,その運用は厳格で,日本の経済力,外貨準備の状況から送金保証を与えるに足る優良外資だけが認可されていた。日本経済が復興するにつれて外資導入は順調に増加したが,資本移動等の自由化を要請する声も高まってきた。このため60年代半ばから徐々に自由化(資本自由化)が進展した。まず64年日本はOECDに加盟し,その規約に基づいて資本自由化に関する義務を負うことになった。内外の関心がとくに強かった対内直接投資の自由化については,67年に第1次自由化措置が実施され,71年までに4次にわたる自由化措置が実施された。さらに73年にはOECDの規約に沿った原則100%自由化を達成,76年には猶予期間付きの業種も含めすべて自由化された(〈資本自由化〉の項参照)。
このような自由化の進展と日本の経済成長に対する関心の高まりから,1960年ころから外資導入は大幅に増加した。また導入方法も多様化し,外債の発行,海外における預託証券(DR)形式による株式の発行(〈ADR〉の項参照)が行われるようになった。65年,66年ころは国内の不況を反映して外資導入も一時的に停滞したが,景気回復とともに増加に転じ,とくに証券投資の分野で著しく増加した。このうち株式取得は73年秋の石油危機後の長びく景気低迷によりほぼ流出基調が続いていたが,79年後半以降流入基調となっている。また公社債等債券取得については1977年9月末以降の急激な円高の影響で,78年度に一時流出超過となったほかは,ほぼ流入基調が続いている。直接投資は自由化が進んだこともあって安定的に推移している。技術導入は1976年度以降増加傾向にある。また外債発行は78年度以降順調に拡大している。80年12月の外国為替及び外国貿易管理法(外為法)の改正により,従来の外資法が廃止されて改正外為法に統合され,改正外為法に新たに〈対内直接投資等〉および〈技術導入契約の締結等〉の条項が設けられた。また従来外資法の対象範囲であった社債,受益証券,金融機関からの借入れ等については,一般の資本取引と同様の扱いを受けることになった。対内直接投資においては,従来の認可制が原則自由の事前届出制(審査付き)に改められるなど,自由化が進められた。
なお発展途上国は通常資本不足国であり,その工業化のために外資導入政策がとられることが多い。
執筆者:鈴木 明彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…国際資本移動はしばしば,国際投資,外国投資,対外投資,資本輸出,資本流出等とも呼ばれる。資本受入国の側からの表現では,資本輸入,資本流入となり,また外資導入ともいう。ある国の1年間の資本の総輸出額が総輸入額を上回ればその国を資本輸出国と呼び,総輸出額と総輸入額との差額を資本の純輸出額(マイナスならば純輸入額)という。…
※「外資導入」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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