小榑村(読み)こぐれむら

日本歴史地名大系 「小榑村」の解説

小榑村
こぐれむら

[現在地名]練馬区大泉学園町(おおいずみがくえんちよう)一―九丁目・西大泉(にしおおいずみ)一―六丁目・南大泉(みなみおおいずみ)一―六丁目・土支田(どしだ)四丁目・大泉町(おおいずみまち)一―四丁目など

豊島郡土支田村の西、白子(しらこ)川の西岸に位置。新座(にいくら)郡に属する。中央を東西に清戸(きよと)村(現清瀬市)に至る道(清戸道)が通る。西は下保谷(しもほうや)村(現西東京市)、北は中沢(なかざわ)村・辻(つじ)村(現埼玉県新座市)、南は豊島郡関(せき)村、上保谷村(現西東京市)。北条氏所領役帳に「小榑保屋」九八貫八六〇文がみえ、保谷(現西東京市)とともに江戸衆太田大膳亮が知行していた。永禄一一年(一五六八)当地の妙福(みようふく)寺九祖日が看坊の卿阿闍梨日住を住持職に任命した文書に「小榑妙福寺」とみえる(同年一〇月一三日「日住持職補任状」妙福寺文書)。田園簿に村名がみえ、田二九石余・畑五一八石余、ほかに野銭永六貫六八五文があった。幕府領。元禄郷帳では高一千四六八石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報