改訂新版 世界大百科事典 「小樽高商事件」の意味・わかりやすい解説
小樽高商事件 (おたるこうしょうじけん)
1925年小樽高等商業学校(現,小樽商科大学)で起こった軍事教育反対運動。同年4月から中等学校以上の学校で軍事教練が開始された。10月15日,同校の教練で配属将校鈴木少佐が,近郊の天狗山で地震が起こり民情不安を機に無政府主義者が〈不逞鮮人〉を扇動して小樽,札幌両市の全滅を画策しているので高商生徒は在郷軍人会と協力して,この敵を絶滅すべしとの想定を与えた。これは軍の社会主義者や朝鮮人への敵対意識の現れであった。これを知った小樽の労働団体が朝鮮人とともに抗議に立ち上がったのをはじめ,前年11月に全国学生軍事教育反対同盟を組織していた学生連合は,再三文部省に詰問抗議した。当局は〈不逞鮮人〉の語句は不穏と認めたが,想定自体は当然という態度を示した。また,高商当局も学生が外部の思想団体と通謀していたとの理由で16名を処分した。小樽高商事件を契機に全国の大学,高専で軍事教育反対運動が高まった。
→早稲田軍教事件
執筆者:岡本 宏
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