小橋安蔵(読み)こばしやすぞう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小橋安蔵」の意味・わかりやすい解説

小橋安蔵(こばしやすぞう)
こばしやすぞう
(1808―1872)

幕末の勤皇家。讃岐国(さぬきのくに)香川郡円座(えんざ)村(高松市円座町)の出身。幼名友之輔(とものすけ)、諱(いみな)は以文(いぶん)、字(あざな)は伯友、香水と号す。幼少より漢籍、数学を伊藤南岳(いとうなんがく)に学ぶ。また大坂の篠崎小竹(しのざきしょうちく)、後藤松陰(ごとうしょういん)、江戸の古賀侗庵(こがどうあん)、藤森弘庵(ふじもりこうあん)、大槻盤渓(おおつきばんけい)らに学び、子友之輔とともに勤皇を唱える。1863年(文久3)大和行幸(やまとぎょうこう)に際し高松藩に嫌疑を受け、その後もたびたび藩獄に入る。資産を投じて国事に奔走し、とくに武器弾薬を扱ったためであった。なお、弟龍山(りゅうざん)、橘陰(きついん)、妹村岡箏子(ことこ)、女婿(じょせい)太田次郎も勤皇の志をもち、ともに活躍した。

橋詰 茂]


小橋安蔵(こはしやすぞう)
こはしやすぞう

小橋安蔵

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小橋安蔵」の解説

小橋安蔵 こばし-やすぞう

1808-1872 江戸時代後期の武士
文化5年11月1日生まれ。讃岐(さぬき)高松藩士。弘化(こうか)のころ海防や貧民救済に関する上申書を藩に提出。文久3年(1863)天誅(てんちゅう)組に子の友之輔らとともに参加しようとして発覚,捕らえられ投獄された。明治5年6月死去。65歳。名は以文。字(あざな)は伯友。通称ははじめ友之輔。号は香水。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「小橋安蔵」の解説

小橋安蔵 (こばしやすぞう)

生年月日:1808年11月1日
江戸時代末期;明治時代の志士
1872年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

企業の退職を希望する従業員本人に代わって退職に必要な手続きを代行するサービス。依頼者と会社の間に入ることで円滑な退職をサポートするとともに、会社への連絡などを代わりに行うことで依頼者の心理的負担を軽減...

退職代行の用語解説を読む