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古賀侗庵 こが とうあん

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美術人名辞典の解説

古賀侗庵

徳川幕府の儒官。名は赴氈ケ悊禄・ ・名里肋・析此8轍貔採い梁荵飴辧・修慮紊鮖未亜9芦州看・扮847)歿、60才。

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デジタル大辞泉の解説

こが‐とうあん【古賀侗庵】

[1788~1847]江戸後期の儒学者。肥前の人。精里の三男。名は煜。諸子百家に通じ、父とともに昌平坂学問所の教授を務めた。著「海防臆測」「劉子」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

古賀侗庵 こが-どうあん

1788-1847 江戸時代後期の儒者。
天明8年1月23日生まれ。古賀精里(せいり)の3男。文化6年幕府の儒者見習,14年儒者にすすみ,昌平黌(しょうへいこう)でおしえる。諸子百家に通じるとともに,海防問題なども論じた。弘化(こうか)4年1月30日死去。60歳。肥前(ひぜん)佐賀出身。名は煜。字(あざな)は季曄。通称は小太郎。著作に「今斉諧(いまさいかい)」「海防臆測」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

こがどうあん【古賀侗庵】

1788‐1847(天明8‐弘化4)
江戸後期の儒学者。名は煜,字は季曄,小太郎と称す。侗庵は号。古賀精里の三男。幼少より父について学び,1796年(寛政8)父に従って江戸に移住。1809年(文化6)幕府儒者見習に抜擢され,父子ともに昌平黌に出仕し,17年儒者となる。家学の朱子学を奉じ西洋事情,海防問題にも深い関心を示し,しばしば建言した。主著に《劉子論語管窺記》《海防臆測》《学迷雑録》がある。【頼 祺一】

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