デジタル大辞泉 「香水」の意味・読み・例文・類語
こう‐すい〔カウ‐〕【香水】
2 化粧品の一。種々の香料をアルコール類に溶かした液体。からだや衣類などにつける。《季 夏》「―の香のそこはかとなき嘆き/万太郎」
[類語]香料・芳香剤・フレグランス・パルファン・オードパルファン・オードトワレ・オーデコロン
調合された香料をエタノール(エチルアルコール)で20~25%の濃度にした芳香製品(フレグランス製品という)の一つ。たしなみ、おしゃれ、楽しみといった目的で、身体、衣服、身の回りの物などにつける。英語ではパフュームperfume、フランス語ではパルファンparfumまたはエクストレーextraitという。ただし広い意味では、香料含有量のより低いパルファン・ド・トアレおよびオー・ド・パルファン(含有量10~15%)またはオー・ド・トアレ(5~10%)、オーデコロン(3~5%)、スプラッシュ・コロン(1~2%)などを総称する。
このうちオーデコロンは、厳密にいうと香料の含有量のみの区分ではなく、18世紀の初めにイタリアで生まれ、ドイツで育ち、フランスで花開いた由緒ある芳香水の名称である。その前身はイタリアに現れた「不思議の水――アクア・ミラビリス」という薬用水で、これが17世紀末か18世紀の初めにプロイセンの都ケルン(フランス語名コローニュ)に持ち込まれ「ケルンの水」の名で人気を博した。1756年に始まった七年戦争のおり、ケルンを占領したフランスの将兵がこの名だたる香りの水にすっかり魅了され、これを本国に持ち帰り、その名もフランス風に「オー・ド・コローニュ」とよばれるようになった(オーデコロンはその英語読み)。本来のオーデコロンは、柑橘(かんきつ)油を主体にローズマリー(和名マンネンロウ)、ラベンダー、ハッカ(ミント)などを混ぜ合わせ、それを60%の含水アルコールで2%ほどに薄めたもので、つけたときの清涼・爽快(そうかい)感を売り物としており、欧米ではいまでも昔ながらのオーデコロンの愛用者は多い。最近では香水をアレンジしたものや、男性用にとくにつくられた香りの化粧水もオーデコロンとよんでいる。
ちなみに広義のフレグランス製品には、香水類のほか、ファンシーパウダー、バスパフューム、パフュームソープ、スペースパフューム(ルームコロン、カーコロン)、インテリアフレグランス、インセンス(練り香水、香水線香)、サシェ(匂い袋)などがある。
[梅田達也]
香料による「香りの装い」の歴史は、遠く紀元前3000年のエジプト、ギリシアなど古代文明の国々に始まる。前2000年から前1500年ごろの古代エジプトでは、没薬(もつやく)、乳香(にゅうこう)などの芳香樹脂を、オリーブ油または動物脂と混ぜ合わせた「香油」と「香膏(こうこう)」がつくられ、神聖なものとして最初は宗教的儀式にのみ使われていた。それが前1000年のころからは、高貴な女性たちの間で、肌に香りと潤いを与えるために用いられるようになった。その後紀元1世紀ごろまでの間に、この香油、香膏の使用は、エジプト、ギリシアから古代ローマの上流階級の人々へと広がり、使用量も香料の種類も増えていった。かのクレオパトラは、両手にぬるだけでいまの価値にして20万円もする最高級の香油を使ったといわれる。そのうち、香料を粉にしてぶどう酒と混ぜることも考えられ、5世紀ごろまでに、身体をはじめ衣服、部屋などにも香りをつける習慣が徐々に一般化した。香水の遠い祖先である。
一方「香りのついた水」という形態からみると、香水にはもう一つのルーツがある。それは前8世紀ごろに、東方からギリシアにもたらされた「バラ水」である。これはバラの花を絞ったり、水に浸してつくったりした芳香水であるが、その後バラ以外の花を使ったものも現れ、前5世紀~前4世紀以降になると、芳香水は、上流社会の人々の間で手洗いや部屋まき用に、また薬(鎮痛・鎮静剤)としても多量に消費された。やがてこの流れは、10世紀末にアラビアで発明された蒸留法(現在植物精油をとる一般的な手段である水蒸気蒸留法の起源)を利用した芳香水となり、さらに12世紀に誕生した「アルコール性化粧水」へと受け継がれる。なかでも有名なのが、1370年ハンガリーのエリザベート王妃が、博識の隠者から教えられたという「ハンガリー水」である。これは、マンネンロウの花の上でアルコールを蒸留したもので、当時80歳代であった王妃がこの化粧水を使って若返り、隣国ポーランドの若き国王から求婚されたという伝説もあって、18世紀に「オーデコロン」が現れるまで芳香水の王座を占めていた。
香水の本流である香油のほうは、5世紀以降西欧諸国で発見された多くの芳香植物に加えて、中世になって中国、アラビアなどから、じゃ香(ムスク)、霊猫香(れいびょうこう)(シベット)、竜涎香(りゅうぜんこう)(アンバーグリス)といった動物性香料も渡来したため、その種類も増えた。くだって16世紀ごろからは、フランスやイタリアで、香油にかわって粉末状にした「香粉」がつくられるようになった。
16世紀の中ごろ、ローマ貴族出身のフランギパニが、香水の調合には欠かせない動物性香料を配合するという調香技法の基礎ともなった有名な「フランギパニ香粉」をつくり、さらに彼の孫がこれをアルコールと加熱して香気成分を溶かし出すことに成功した。「アルコール性香水」の誕生である。
18世紀になると、ヨーロッパの各地で香料熱がますます高まり、花を主とした香料植物の栽培と、その蒸留や抽出により芳香成分(植物精油という)の採取も可能となったため、香料の調合が容易になってきた。
さらに、こうした花精油中心の比較的単調な古典的香水から、複雑・繊細な近代香水への道を促したのは、1830年代を初めとする合成香料の出現である。とくに1920年ごろからの分析、合成技術の進歩は目覚ましく、動植物中の芳香化合物はもちろん、天然に存在しない多くの香料化合物が次々に合成され、今日ではその数3000以上に上っている。これにより、調香師たちは個性的に、またイメージのわくままに自由に香りの創造ができるようになり、多くの傑作、名作が生まれた。
日本で香水といえば古くは「仏に供える匂(にお)いのついた水」の意味であった。それが江戸時代には最初の「花の香りのついた水」バラ水がオランダ人によって長崎にもたらされた。平賀源内はその著『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』(1763)のなかに「薔薇露(ばらのつゆ)」の名でその使い方から保存法に至るまで詳しく紹介している。この流れをくむものでは、1872年(明治5)に日本橋芳町(よしちょう)(現在の中央区日本橋小舟町付近)のよしや留右衛門の「香水桜水」が国産第一号であり、80年ごろには花からとったいくつかの芳香水が二、三の店舗から出ている。また、オーデコロンの名は明治初期に現れている。仮名垣魯文(かながきろぶん)の風俗小説『安愚楽鍋(あぐらなべ)』(1871~72)のなかに「オーデコロリという香水を使う…」というくだりがある。また1877年の『読売新聞』には「菊香水オーデコロリン」の広告が出ており、これが日本のオーデコロンのはしりと思われる。
やがて、主としてフランスからシンプルな花香香水が輸入されるようになり、当時は瓶のラベルの模様から、ワシ印香水・豚印香水・滝香水・ひな香水などとよばれ、文明開化期の新奇好みの人々にもてはやされた。そして本格的な香水では、明治中期に入ったロジェー・ギャレー社の「ヘリオトロープ」が最初で、夏目漱石(そうせき)の『三四郎』のなかにもこの香水の名が出てくる。
日本人の場合、香りのおしゃれに対する認識と習慣の違いから、香水などフレグランス化粧品の消費は意外に少なく、1999年(平成11)の販売額は100億円弱で、化粧品全体の出荷額1兆4800億円に対し1.5%に過ぎない(輸入金額は225億円)。
[梅田達也]
音楽と絵画がそれぞれ音と色の芸術であるように、香水は「香りの芸術作品」ということができる。パフューマー(調香師)たちは、1000とも2000ともいわれる調香素材のなかから、数十ないし百数十種を組み合わせて、テーマやイメージによる一つの香りを創造する。
調香素材を大別すると、天然香料と人工香料に、さらに前者は動物性香料と植物性香料に、後者は単離香料と合成香料とに分けられる。
動物性香料には、ジャコウジカから取るムスク、マッコウクジラから取るアンバーグリス、ジャコウネコから取るシベット、ビーバーから取るカストリウムの4種があるが、前二者はワシントン条約などによる制限から現在はほとんど使われず、合成香料に置き変えられている。
植物性香料は、植物体のいろいろな部分に含まれる芳香成分(植物精油=エッセンシャルオイル)を、水蒸気蒸留、溶剤抽出、圧搾などの物理的操作によって採油する。
単離香料は、植物精油から精密蒸留または簡単な化学的処理によって芳香化合物を分取したものである。合成香料には、単離香料を原料とした半合成香料と、石油、石炭、油脂などから得られる化学原料から複雑な反応工程を経てつくられる純合成香料とがある。
調香師は、こうした素材のうちのおもなものの香りと使い方を記憶している。そうしておおよそ次のような手順で香水の創作を行う。(1)最初にベースノート(基礎香調)、すなわち表現したいテーマの骨格となる香りをつくる。シングルフローラル調であれば一つの花の香りを、フローラルブーケ調であればいくつかの種類の花香を組み合わせた香りを、幻想調であれば主題となる風景、人物、事象またはイメージを香りで組み上げていく。(2)次に、できた骨格の肉づけ、すなわちベースノートに魅力、幅、土台などを盛り込む。これに使う香料をモディファイアーとよぶ。(3)これに、音楽でいう序曲か導入部に相当するトップノートを加え、さらにベースノートとのスムーズな移行を図る。(4)最後に、動物性香料をはじめ、芳香樹脂または結晶性ないし粘稠(ねんちゅう)性の香料により、揮発度を調整するとともに、その香り全体に丸み、深み、持続性などを与える。このような働きをする香料をフィクサティブ(保留剤)とよぶ。
香水の製造は、調香師が作品に使った素材の名称と分量を書いた処方に基づいて、原料を調合缶で均一に混ぜ合わせ、まず香水ベースをつくる。このベースに良質の脱臭エタノールを加え、貯槽に入れて密封をし、1か月から3か月間冷暗所で熟成させ、精密濾過(ろか)ののちに瓶詰め包装して製品とする。最近では超短波または超音波による短期熟成も試みられている。
[梅田達也]
香水には、その基調が花の香りの「フローラルタイプ」(花香調)と、花のほか草木、自然現象、景色、人物、音楽、絵画など調香師の抱くイメージを香りで表現した「ファンシータイプ」(幻想調)の二つがある。
また花香調香水は、(1)天然の花香を模した「シングルフローラル」、(2)花束または花園を思わせる、女らしく優雅な香りをもった「フローラルブーケ」(花束)、(3)さらにこれを複雑にし、華やかさ、粋(いき)さを盛り込んだ、ロマンチックで甘美な「モダーンフローラル」の3タイプに分けられる。
一方、幻想調香水には、草原、森林、果樹園、動物などさわやかな自然を表現した「グリーンノート」、14世紀にキプロス島でつくられた練り香をもとに、新鮮なコケの香りを配して有名になった香水“シプレ”の流れをくむ、個性的で洗練された「シプレーノート」、東洋的なムードの「オリエンタルノート」がある。また男性用独特のものとして、柑橘を主とした「シトラスノート」、ラベンダー、コケの香りを生かした「フゼアノート」、皮革にスパイスや木の香をからませた「レザーノート」などがある。
[梅田達也]
その人がつねに用いている香水は、たとえその場に姿が見えなくても、その香りだけで存在感を十分に主張する、それが香水の大きな特質としてあげられる。よい香水というのは、香りが揮散し始めてから終わりまで、時間の経過によって微妙に変化するが、主張する香りの一貫性がなければならないといわれている。したがって香りには、(1)表立(うわだ)ちと(2)中立ち、そして(3)残(あと)立ちという流れがあり、この3要素のどれかが欠けても十分ではない。(1)表立ちは、瓶の蓋(ふた)を開けたとき最初に感じる香りであって、揮発度が高いため持続性が短い(20分ぐらい)。中立ちとは、その香水の特徴がもっとも的確に感じられる香りで、普通3時間くらい持続するという。ここに、調香師がつくりだしたいと考えている香りのイメージが、もっとも強く表現されている。それからさらに残立ちが続く。ほのかに匂うというもので、豊かな持続性をもち、体臭と混ざり合って、香水によっては、そのままにしておくと2~3日にわたり残立ちがある。
[横田富佐子]
(1)香水はアルコールで希釈されているため、瓶の口に鼻をつけて嗅(か)ぐ方法では、アルコールの刺激臭で嗅覚(きゅうかく)が麻痺(まひ)し、正しく感じることができない。かならず手の甲に1滴落とし、息を吹きかけて表立ちを飛ばしたあとで吟味する。手の甲に香水を落としたあと、油のようなつやが残されているほうが長もちする香水といえるが、香水の生命は香りなので、長もちする香水だけがよいとは限らない。(2)香水の色にはこだわらなくてよい。色の濃いものには、とくに植物性の樹脂や動物性の天然香料が使用されている場合が多い。したがって、香りが強く長もちするものには、色の濃いものがみられる。(3)香りは、使用する人の体臭と溶け合って、その人の新しい香りをつくりだすものであるから、使用する化粧品などの香りとの関連も考え合わせ、同系統のものを選ぶとよい。(4)自分にあう香水を選び出すためには、気長に香水とつきあうこと以外にない。できるだけ多くのタイプの香水に親しむことが必要である。まずオーデコロンで香りに慣れるのも一つの方法である。
[横田富佐子]
(1)香水の上手な使い方は、ある程度の距離を置いた位置からスプレーで肌に直接吹き付ける。(2)香りのもつ時間は一定であるから、必要に応じて付け足すことも忘れずに。そのためには、常時香水を持っていること。(3)皮膚の弱い人や過敏症の人は、脱脂綿などに含ませ、ブラジャーに入れるか、下着に吹き付けるかする。(4)洋服にはじかにつけない。高級香水ほどしみになりやすい。(5)香水はそれぞれが完成された香りを特色とするものであるから、けっして混ぜて使用してはいけない。(6)香水より濃度の薄いオー・ド・トアレやオーデコロンは大量に使ってもよく、湯上がりやシャワー後の体温の上がっているときに使うと、より効果的である(特異体質を除く)。
[横田富佐子]
(1)空き瓶の蓋をとり、洋服や下着のたんすの引き出しに入れる。(2)香水がごくわずか残っている瓶に、局方アルコールをすこし加え、よく振ってから、手ふき用のぬれタオルなどに含ませて使う。(3)電気スタンドの覆いやカーテンに香水を吹き付け、部屋に香りを演出することもできる。(4)ときには握手したあとの手のひらにほのかな香りが残るように、香水を使うこともいい。
[横田富佐子]
(1)香水瓶を光線に当てると濁ってきたり、匂いが悪くなったりするので、なるべく冷暗所に保存する。(2)温度があまり低すぎても、結晶性の香料がアルコールから分離沈殿することがある。(3)香水は長く置くと揮発しやすいので、栓を固く締めておく。瓶の香水が減ってくると、中の空気で酸化されることもあるので、できれば小さな瓶に移し換えるか、早く使用してしまうことである。
[横田富佐子]
『C・J・S・トンプソン著、駒崎雄司訳『香料博物誌』(1973・東京書房社)』▽『堅田道久著『香水』(保育社・カラーブックス)』▽『春山行夫著『おしゃれの文化史』全3巻(1980・平凡社)』▽『梅田達也著『香りへの招待』(1979・研成社)』
身体,衣服等につけて香りを楽しむための化粧品。植物性・動物性の天然香料と合成香料を調合してつくった調合香料を,精製したエチルアルコールに希釈して,さらに時間をかけて熟成させる。広義には表のようにパヒュームコロン,オーデコロン,パヒュームオイルなどの芳香製品(フレグランス)をもいう。フレグランスの分類は,調合香料の賦香率(ふこうりつ)と関係が深いが,名称はまちまちで,世界共通のものにはなっていない。
植物や動物の香気成分(香料)に殺菌,解毒,解熱,鎮静,強心,強精その他多くの薬効作用のあることは,古代から体験的に知られ,多くは気体状や液体状にして利用してきた。その方法は,(1)加熱して気化させる法,(2)油脂と混ぜて徐々に気化させる法,(3)水やアルコールとともに気化させる法,(4)湯に溶解し液化させる法,(5)固体状のまま使う法などである。(1)はインセンスincense(焚香(ふんこう)料)と呼ばれ,仏教の儀式や香道で用いる香,キャンドルフレグランスなどがある。香水や香料をパヒュームperfumeというが,その語源はラテン語のper-fumum(煙を通して,煙によって)であり,インセンスがいちばん古い方法であるといえよう。(2)と(3)はパヒューム(香粧品香料)と呼ばれ,(2)には香油,香脂など,(3)には香水,オーデコロンなどがある。ただし,古代エジプトやローマの墳墓から香水の瓶といわれるものが発掘されたり,絵画などにも描かれているが,今日でいうアルコールの発見はより後世のものとされているから,それはたんに香油か香(にお)い水で,香水とは違うものである。また真言密教で使われている香水(こうずい)は5種の香料を水に入れたもので,儀式用に使われている。(4)はアロマ(薬用香料)で,中国や日本で使われてきた薬湯(やくとう)/(くすりゆ)がこれに属する。(5)はフレーバー(食品香料)が主であるが,古くは没薬(もつやく)や肉桂(につけい)などがミイラの製造に固型のまま使われた。
1370年ころハンガリー王妃エリザベトの愛用したハンガリー水が広義の香水の初めといわれ,フランスでは16世紀の中ごろから香料植物の栽培と香料の製造が盛んになった。それはフィレンツェのメディチ家からフランス王アンリ2世に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスが非常な香料愛好家であったからだといわれている。しかしフランスの宮廷をはじめ貴族や富豪が争って香料や化粧品を使うようになったのは,彼女が政治的支配を確実にするために,宮廷に軟弱な佞臣(ねいしん)をつくるという目的があったからだともいわれている。またイギリスやフランスでは,公衆浴場は男女混浴だったため風紀を乱すということで16世紀末に廃止され,そのため入浴の習慣がなくなり香料の使用が盛んになったともいわれている。同じころ,ローマの貴族フランギパニはイリス根(ショウブの根)の粉と麝香(じやこう)とシベット(ジャコウネコの分泌物)を混ぜた香粉を創製したが,17世紀の初めに末孫のメルキュティオ・フランギパニは香粉にアルコールを混ぜて加熱し,香気成分を溶出することに成功した。これが香水の初めであるといわれている。18世紀の中ごろ,イタリアの香料商ジャンマリア・ファリナがケルンでつくった〈ケルンの水〉がフランスに渡り,オーデコロンと呼ばれるようになった。これはかんきつ(柑橘)系の香料を主体にしたさわやかなもので,以来オーデコロンはこの伝統をうけついできた。
19世紀に入って有機化学の進歩は香料工業の発達を促した。植物から圧搾法や水蒸気蒸留法によって植物精油を得ていたものが,アルコール,ベンゼン,アセトン,石油エーテルなどの溶剤で抽出することによって,樹脂系のものや,熱に弱いもの,水に溶けてしまうものなど,これまで得られなかった香料をつくることができるようになった。さらに天然香料から含有成分を分離した単離香料と,有機合成反応によって合成した合成香料があり,現在知られているものはおよそ4000種といわれている。1910年代まではヤードレー,ウビガン,ロジェ・アンド・ガレ,ゲラン,コティ,キャロンといった香水や化粧品の専門メーカーによって,それも天然香料を主にした香水が発売されていたが,1920年代になってオート・クチュールのシャネルが合成香料のアルデハイドを配合した香水〈No.5〉を発表し,以後ランバン,ジャン・パトゥ,スキャパレリ,ディオールなどデザイナー・ブランドの香水が発売される傾向になった。香りのタイプもシングルフローラル(単純な花の香り)からオリエンタル(ジャコウなど動物的な香り,ダナの〈タブー〉,ゲランの〈ボル・ド・ニュイ(夜間飛行)〉など),シプレー(シプル島のイメージをもった粉っぽい香り,ゲランの〈ミツコ〉,ディオールの〈ミス・ディオール〉など),フローラルブーケ(花束の香り,ジャン・パトゥの〈ジョイ〉,ニナ・リッチの〈カプリッチ〉など),アルデハイド(合成香料アルデハイドを主調としたモダンな香り,〈シャネルNo.5〉,ランバンの〈アルページュ〉など)と発展し,1970年代からグリーン・ノート(青葉・青草の香り,〈シャネルNo.19〉,Y. サン・ローランの〈イグレック〉など)が流行した。これらの香水の多様な発展には,そのさまざまな微妙な匂いの違いをかぎわけて調合する調香師の果たす役割も見逃せない。
1920年代以前の調合香料は天然香料を主としたものであったが,需要の拡大と合成化学の発達によって,しだいに合成香料の比重が高くなり,調合香料中の合成香料の割合は80%を超えるようになった。これによって香水をはじめフレグランス製品は多種多様になり,安定した香りを安価につくることができるようになった。また天然香料もバイオテクノロジーの応用によって高品質の安定供給が期待されている。
中国では漢代のころから焚香の風があるが,香木は西域や南蛮からの輸入であり,薬物,薫衣に用いられた。日本でも唐の影響で供香(そなえこう),空香(くうこう)として移入され,やがて香道を成立させる。注目すべきは江戸時代に入り,化粧料の発達に大きく寄与したことである。庶民の間では〈伽羅(きやら)之油〉や〈花の露〉のような鬢付(びんつけ)油が,香水のなかった時代の芳香化粧品として愛用されていた。時代が下るにしたがって芳香化粧品のなかに新製品が生まれるが,商品名はそのまま受け継いでいるものがあった。たとえば,〈花の露〉は初期には固練状の鬢付油であったが,中期には香油状,末期には化粧水になり,明治期になって香水やオーデコロンの商品名になった。江戸時代の初期,すでに創傷洗浄用の焼酎や唐船による輸入酒がランビキ(alambique,蒸留器)によって製造される技術が知られていた。1763年(宝暦13)刊平賀源内の《物類品隲(ぶつるいひんしつ)》にはランビキを使って薔薇露(ばらのつゆ)をつくる方法と用途を教えている。1813年(文化10)刊の女性のための教養書《都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)》になると,ランビキを使っての〈花の露の取りよう〉と,ランビキのないときにはやかんと茶わんを使ってつくる方法を教えている。これらを見ると江戸時代すでにオーデコロンと同様の化粧品が大衆化されていたことが理解される。江戸末期から明治初期にかけて舶来のフレグランスが紹介されたとき,いちはやく国産の洋風フレグランスが〈香水(においみず)〉と名付けて売り出された。1872年(明治5)の《東京日日新聞》には,香水〈桜水〉東京親父橋芳町よしや留右衛門の広告が,商品広告の最初に掲載されている。1880年ころから井筒屋の〈香水〉,平尾賛平の〈薔薇製香水〉,守田宝舟の〈素馨香・白薔薇〉,安藤井筒堂の〈オリヂナル香水〉などが売り出された。また舶来ではウッドワースの〈わし印香水〉〈日本ムスメ〉(別名ヲイラン),ロジェ・アンド・ガレの〈金弗印〉,リゴーの〈鶴香水・ヒナ香水〉,アトキンソンの〈ホワイトローズ〉などが有名だった。明治時代にフレグランス製品の需要の多かったのは,政府の欧化対策による化粧の洋風化と,明治初期のコレラの流行を予防するために,香料の殺菌作用をとり入れた宣伝によるところが大きかったと思われる。第2次大戦までの香水の需要は,これら業者の独自の広告もあって,戦後のどの時期よりもはるかに高かったといわれている。日本における香水,オーデコロンの出荷額は約270億円(1982)で,化粧品全体の3%を占めている。
調合香料は数十種類の香料を調香したもので,それぞれの単品香料は揮発度が異なるが,香水にした場合ばらばらに揮発しないようくふうされている。最初に匂う,うわだち(トップ・ノートtop note),次の,なかだち(ミドル・ノートmiddle note),最後の,あとだち・残り香(ラスティング・ノートlasting note)に分かれる。これらの差の少ないもの,つまり最初から最後までイメージが統一されているものと,3回に分かれてそれぞれの香りを楽しませるもの,などがある。フレグランス類はアルコールや水が蒸発したあとに香料が残るが,香料は紫外線を吸収し,皮膚に〈しみ〉をつくるおそれがあるから,日光に直接あたる顔や首すじなどにはつけないように注意する必要がある。また空気に触れると変質するので容器の蓋は必ず閉め,瓶から直接使用せずスプレーを用いる。
→香 →香料
執筆者:高橋 雅夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…(1)はインセンスincense(焚香(ふんこう)料)と呼ばれ,仏教の儀式や香道で用いる香,キャンドルフレグランスなどがある。香水や香料をパヒュームperfumeというが,その語源はラテン語のper‐fumum(煙を通して,煙によって)であり,インセンスがいちばん古い方法であるといえよう。(2)と(3)はパヒューム(香粧品香料)と呼ばれ,(2)には香油,香脂など,(3)には香水,オーデコロンなどがある。…
…閼伽はもともと水を意味するが,中国においても日本でも閼伽水と呼ばれる場合が多い。仏会では加持した水や,霊地の水,あるいは香木を水に入れた香水(こうずい)を用いる場合が多い。閼伽の湧く井戸を閼伽井と呼び,東大寺二月堂下の閼伽井や園城寺金堂わきの井,秋篠寺の閼伽井など著名な井戸が現存する。…
※「香水」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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