小瀬戸村(読み)こせどむら

日本歴史地名大系 「小瀬戸村」の解説

小瀬戸村
こせどむら

[現在地名]飯能市小瀬戸

久須美くすみ村の西、入間いるま川と中藤なかとう川の合流点に位置する。猪俣党武士で摂津一ノ谷合戦で功のあった岡部忠澄の後胤、岡部小右衛門が近世初期当地に住し、将軍徳川家光の時代に江戸に出、屋敷には家臣町田市右衛門を住まわせたという。屋敷跡の東方に弥陀堂・観音堂があり、観音堂の棟札に「馬一疋舎人、牛一疋飼口、于時慶長十二年未霜月吉日、施主岡部外記、大工木工頭」とあったという(風土記稿)


小瀬戸村
こぜとむら

[現在地名]静岡市小瀬戸・谷津やつ西又にしまた

藁科わらしな川中流の右岸沿いに位置し、対岸谷津も村域に含まれる(駿河記)。右岸の東は飯間はんま村。村名は谷津などから磁器生産に適した土を産することに由来するという(駿河記・修訂駿河国新風土記)。慶長九年(一六〇四)九月の検地帳(戸崎家文書)によると高六五石余、名請人数二二。領主安西外あんざいそと新田と同じ。元禄郷帳では高一九五石余。旧高旧領取調帳では幕府領の八郎兵衛組四九石余・次郎左衛門組一四石余・次右衛門組三八石余・五兵衛組一四石余・清右衛門組一一石余・重右衛門組九石余・金左衛門組九石余・六郎左衛門組一三石余・九郎左衛門組三五石余に分れており、ほかに寺社の除地計九石余があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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