小田付村
おたづきむら
[現在地名]喜多方市西町・南町・中町・北町・加登・桜町・大豆田・西四ッ谷・惣座宮・五ノ神・寺南・宮西・寺西・村西・馬場・山ノ神・稲清水・落合・長面・蒔田・舞台田・梨子ノ木・瀬戸・二本木・畑台・中台・台・柳清水・南原・沢ノ目・原田・上江・下江・銭田・腰巻・籠田・台添・分田・広面・大谷地田・屋敷免・石田・東町・四百刈・井戸尻・江中子・六枚長・北沢の目・窪田・谷地・南条・西井戸尻・川原田・下川向・中川原・上川向
田付川を隔てて小荒井村の東に位置する。小田付組に属し、北は稲村、南は上高額村、東は下台村。近世は小荒井村とともに市の立つ町場として発展、同村と同じく北方地方の産業・経済の中心地となった。永正六年(一五〇九)閏七月五日の蘆名盛高寄進状(示現寺文書)に「会津那广郡小田付之村」とみえ、盛高は当村の「花積恩地道覚在家」一間、年貢二貫六〇〇文の地を熱塩村(現熱塩加納村)の示現寺に寄進している。
伝承によると、田付川の上流には入田付・中田付の二ヵ村があり、古く当村は出戸田付村と称していたが、天正一〇年(一五八二)蘆名家重臣佐瀬大和(平八郎)が九三ヵ村の人夫を徴発、台・南条・古屋敷・小田付という四つの集落の民居を当地に集めて新たに町割をし、小田付の名に改め、便の悪かった中田付村の六斎市を当地に移したのが市立ての始まりとされる(新編会津風土記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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