小田堅立(読み)オダ ケンリツ

20世紀日本人名事典 「小田堅立」の解説

小田 堅立
オダ ケンリツ

明治・大正期の教育者 岡山商業学校校長



生年
元治2年1月10日(1865年)

没年
昭和19(1944)年5月26日

出生地
備中国下道郡岡田村(岡山県吉備郡吉備町)

旧姓(旧名)
三宅

学歴〔年〕
同志社卒,アメリカ・オベリン大学卒

経歴
同志社に学んだのちアメリカに留学し、オハイオ州のオベリン大学を卒業。明治20年に帰国し、岡山中学校・福岡修猷館中学校の教員教頭を経て31年岡山県商業学校の初代校長に就任原書を使用した授業を進め、実用英語の講座を開くなど、世界に通用する商人の教育に努めた。35年に岡山市立岡山商業学校が創立すると、42年までその校長を兼任。大正3年病気のために依願退職し、政界入りを志すも果たせず。また、京和銀行岡山支店長・敦賀商業学校長・東京商工奨励館長などを歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小田堅立」の解説

小田堅立 おだ-けんりゅう

1865-1944 明治-大正時代の教育者。
元治(げんじ)2年1月10日生まれ。アメリカのオベリン大でまなび,岡山中学などの教師をへて明治31年岡山県商業(現岡山東商)校長となる。35年岡山市立商業(現岡山南高)校長も兼務した。昭和19年5月26日死去。80歳。備中(びっちゅう)(岡山県)出身旧姓は三宅。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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