小田多井村
こだたいむら
[現在地名]堀金村大字三田 小田多井
鳴沢扇状地の末端、小田多井堰沿いに南北に位置する。初見は慶安五年(一六五二)。慶安元年の開発で、同五年に検地を受ける。検地帳によれば、開発時の百姓は二四人で、最高一町一段三畝歩から最低二段三畝歩の土地を開発している。
開発当初温堰尻の住吉神社のみたらし堰を利用し、田五町六段九畝歩、畑八町一段一畝歩を新切する。このみたらし堰は温堰の流末であるため、順水がよくなかった。水通しをよくするために、井口を野沢村まで上げ、立田堰の落水や長尾・野沢(以上現三郷村)の捨て水を直接入れるため、寛文一二年(一六七二)新堰の掘替願いを出している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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